私は死ぬことについて少なくとも意識的には悲観的ではない。もちろん死を望んでいる訳ではないが、生き続けることへの執着も持ち合わせていない。生きることに未だ楽しみを見いだせる希望があるから生きているだけ、といった具合だ。
「歌に私は泣くだらう」(永田和宏著)を昨夜読み終わった。内容は歌人である著者の妻が癌を患った後の闘病生活を描いたものである。闘病の末、亡くなる直前に家族が集まり一緒に過ごす描写があるのだが、悲哀と共に人生かくあるべきといったある種理想的な人生の終え方かもしれないなという感覚を覚えた。著者である夫、娘、息子がそれぞれこれが最後だと理解した上で妻、母との時を過ごす。長い闘病生活の末の結果であるため、この時が訪れることは想定外ではなかったであろう。そして、妻本人も途中からそれを受け入れている風に描かれている。死を受け入れつつ、悲しんでくれる最愛の夫、そして子どもたち。それが家族である必要はないかもしれないが、やはり最期のときが来たことを受け入れつつ、残った大切な人々の幸福を願い、死んでゆくのが幸せな終わり方ではないだろうか。私もまたそんな終わりを迎えたいと願うものである。