読んだ〜

ラ コンスタタシオン ダン フェー 詰まるところ正論蛮族のことですよね!
めちゃめちゃ面白かった 人間の思考をこんなに克明に描写しててさ
キャラクターが内面であーでもないこーでもないとぐるぐる考えて、その上であーだーこーだ言って、相手の表情や些細な行動から感情を読み取って、伝えるのやめるかやめないか…って行動を変えたりするのも、あまりにもリアルで、まるで自分がサトリだとかエンパスだとか、人の心を読める能力者になって、かつタイムマシンであの時代のロシアに行って、さらには透明人間になって登場人物たちが喋るのを目前にしている気分になる小説でした 不思議な感覚になることも多かった
貴族のアレクセイ・カレーニンと年の差結婚したアンナ・カレーニナは、兄オブロンスキーと兄嫁ドリーの夫婦喧嘩(なお兄が浮気したのが悪い)を取りなすために当時できたばかりの鉄道ではるばる兄夫婦の住む街まで行って、離婚したいと泣くドリーを温かく説得し、兄オブロンスキーを許してもらうようにお願いした。
アンナに説得されて、離婚を取りやめたドリーは妹のキティを呼んでアンナと共に舞踏会へ出かけるんだけど、このキティもそろそろプロポーズを受ける年頃で、彼女には10くらい歳が離れているリョーヴィンという昔馴染みの男がいて、社交界のあちこちに友人がある外交的なオブロンスキーの親友の割には非常に内気な男(私は序盤、リョーヴィンの見た目をガンダムのカイで読んでたりもした)で、優しいし賢いし、キティの小さな頃から付き合いのあるけど特別金持ちともいえないし社交界でも目立たない存在だしで、しかも美しい男でもないので、キティ自身そんなに悪くも思ってなかったんだけど、彼女の母がそんなしみったれた三十代の男よりも、社交界で一番ブイブイ言わせている見た目も性格も華やかで美しく、賢くて社交界の誰も愛さずにはいられないヴロンスキーの方が私の娘に似合いなんだからと言って、リョーヴィンなんてやめてヴロンスキーと結婚するべきだとキティにやいのやいの言含めていて、彼も彼でいかにも気のありそうなそぶりをしているからキティもすっかりその気になって、リョーヴィンからのプロポーズを断って、ヴロンスキーからの求婚を期待して舞踏会へ行くんだけど、肝心のヴロンスキーはそこで、運命の一目惚れをしてしまうーーー
そう、アンナ・カレーニナに!
みたいな始まりなんだけど、もうねこの、アンナとヴロンスキーが互いに一目惚れするシーンの何と美しいことか、そしてキティはすっかりこのパーティでプロポーズされるつもりだったわけで、おめかしも、当然求婚される覚悟もしてるわけよ
お目当てのヴロンスキーと、「プロポーズするならこの曲っきゃないっしょ!」なナンバーで二人で踊るわけだけど、てっきりダンスしてる最中にロマンチックに耳元でこっそりとプロポーズしてくれるんだと思ってたのに、全然そんなそぶりなくて、挙げ句の果てにヴロンスキーは既婚者で独特の魅力を放つ黒いドレスのアンナに惹かれて向こうに行っちゃうんだよね
リョーヴィンも失恋したし、社交界でも有名なウェイ系のヴロンスキーも彼女に気があることを知ってたので、もうキティはヴロンスキーと結婚するのだ、と思い込んでそそくさと自分の領地に帰るんだけど、キティもキティでまさか自分が、年上の既婚者の親戚の女に男を取られるとも思ってなくてすんごい恥ずかしくなってあれよあれよと気を病んじゃうし、アンナはアンナで初めての恋を自覚するまいと慌てて鉄道に飛び乗って帰るんだけど、いるの。
ヴロンスキーが!客室に!いるの!
ヴロンスキーが!!!
アンナには、超優秀で真面目に仕事をするカレーニンという夫がいて、彼との間に愛する可愛い息子もいて。確かに、夫はちょっとつまらない男だけど、暮らしぶりに困ったことはなくて、自分はうまくやってて、幸せだと思ってたの
でも、あの運命の日に一目見ただけで恋した若くて美しい男から、まさか鉄道に乗っても追いかけられるほど熱烈で一心の愛を向けられて、互いに愛しあう気持ちや嬉しさみたいなものを心の中で感じて、ふわふわと浮ついた気持ちで地元に帰って出迎えてくれた年上の夫やまとわりつく息子に現実を突きつけられてなんとなくがっかりするのもわかるんよね
この辺が冒頭 ここからアンナは、自分の気持ちやあの手この手で会おうとするヴロンスキーの猛烈な愛に抗えず不倫が始まるんだけど…
それまで(貴族として)愛のない結婚なんか普通だし、周りもみんなそう、キリスト教的考え方もすれば嫌いになっても離婚も出来ないのだから幸せってこういうものなんだ、それに息子を愛する気持ちだけは本当なのだからって自分を納得させて生きて来たのに、いざ自分だけの恋愛が始まると「いや、実はこれまでずっと、夫のことをつまらない男だと思ってた」とか「私を愛していないのに私を縛るあの男が悪い」とか、急に嫌いな理由、特に「私が不倫に走った理由」をとたんに作り出して納得しようとするんだよね
これはアンナの兄オブロンスキーが息子たちの家庭教師と浮気をしたときもそうで、「もう彼女は若くないから」「子供を産んで疲れた妻をどのように愛せばいいのかわからない」とか、どんなに破綻してても自分を納得させるのが大事なんだなあって思いました
でも、オブロンスキーはドリーから許しを得て素直に「自分の妻は素晴らしい女性だ」って思って周りに言いふらすし、その後精神的に不安定になったドリーを支えたり、逆に金銭的に危なくなった夫をドリーが支えたり、とまあ問題がないわけでないけど「それなりに」うまくやっている家庭として度々出てくるんだよね その辺は、今後ぼろっっっぼろに壊れていくアンナの周りと比べてしんどいよな〜?と思う
私はアンナ・カレーニナを「心はこうして創られる」って本を読んで、それきっかけに読み始めていて、じゃあその「心は〜」はどんな本なのか?というと、人間の心や精神と呼ばれているものに深みとか奥行きとか芯なんてものはなくって、目の前にあるもの、起きたことにその場その場で自分に納得できるように脳みそが一瞬で理由をつけて自分自身の身体感覚や記憶、感情さえ騙している、まるでペテン師みたいな脳に生かされているんだ、みたいな本で結構衝撃的だったんだけど
そう思ってアンナ・カレーニナを読むと、さっき言ったような罪悪感が翻って相手への嫌悪感に繋がる、浮気の理由を相手になすりつけることだったり、自分勝手でコロコロ変わるアンナの考え方も、「いやまあ、そうだよね?目の前で起きたことに対して脳が理由をつけて、心の中のざわめきみたいに思わせているだけなんだよね」とすごくすんなり入って来て、非常に読みやすかった
いやこんな読み方でいいのか分からんが
読んでてびっくりしたのは、女性キャラも男性キャラも、子供のキャラまでみんな「違うことを考えている」ってことで、いや、現実世界ではそれは当たり前だよ でもこれは物語で、それぞれにモデルはいるようだけど結局は一人の脳の中で起こしてる話であって、キャラクタの言い分を頭の中で整理しようと思ったら、なかなか難しいじゃん
今後のストーリーのことも頭に入れた上で、二つの意見をここまでリアルに戦わせる苦労って…と思うと たとえば夫の浮気に傷つく妻の精神状態を描くシーンとかひとつとっても、本当にめっちゃ丁寧に書くんだよね 「あれこれこうだから、こうなんだ」「だから、あの人はああなんだ」「それで、私はこう思ったからこうしたんだ」と、主要な登場人物の思考を余さずに丁寧に、文字としてなぞれるっていうのは刺激的な体験で、めちゃ面白かった
自分も何か物事を考える時は小説とかエッセイみたいに文章にすることが多くて……まあ小説のキャラクタなんだから文字でしか表せないのはそれはそうなのだけど、自分の出力と同じような方法で思考が書き出されるものだから本当にサトリかエンパスになったような不思議な気持ちで読んでたよ
特に人物が深刻に悩み始めたときの、思考が行ったり来たりして、途中で集中が切れて最初からになって、何度考えても結論は変わらないか、もしくは螺旋階段を下るように一層悪い方になってしまう、そしてだんだん、何もかも憎み始めてしまう、みたいなあの病的な内面描写は読んでて身に覚えがあり気分が悪くなったほど でも、やっぱり「私だけじゃないんだ」というのはある意味では救いであって、そのシーンを読みながら私は救われたような気もするんだよね
下に載せるのは、冒頭、オブロンスキーが家庭教師の浮気したの奥さんにバレてもう全然話聞いてくれなくて「もう自分たちは終わりなんかなあ…」って落ち込みつつ、執事が用意してくれたいつものモーニングルーティンをこなして、一瞬イヤなことから解放ものの…ってシーン

このシーン大好き!
このシーン読んでから、オブロンスキーのことロバートの秋山でしか想像できなくなっちゃった 作中ではイケメンなんですけどね
こんなふうに、もう逐一!全部!何もかも!説明してくれて、またこのさ、一瞬だけイヤなこと忘れるんだけど、特に何もしてなくても頭から水ぶっかけられたみたいに現実に引き戻される感じとか超コミカルで本当に良いんだよねー
誰々は何々を思い出して苦虫を噛み潰したような顔をした、で終わらせてもいいわけじゃん でもそんなことはしない なぜ苦虫を噛み潰したような顔になったのか、ということを余さず表現する感じが良いなーと思った
内面描写もそうだけど、風景描写も本当に綺麗で、年代も違う、国も違うのになんとなく想像しやすいし、香りとか手触りみたいな感覚まで共有できる小説って本当にすごいと思う
この話は、アンナとリョーヴィンの二人のを軸に行ったり来たりする構成になってて、劇的な愛にのめり込むアンナとは対照的に、リョーヴィンは田舎で農場経営をしていて、自然の中で生きる失恋独身男なのね 社会との付き合いもうまくないし でも、リョーヴィンが主人公してる時の自然の描かれ方は本当に本当に爽やかで気持ちが良くて、さっぱりするような気分に何度もなった
アンナとヴロンスキーの話があまりにスキャンダラスで、どんどん見るからに立場が変わっていくから早く続きが読みたいのに、リョーヴィンの話になるととたんに田舎暮らし、農場経営、そして人間とは生きるとは死ぬとは…農民と家族の違いとは……みたいな現実的かつすぐそこにある話になるからつまらないとか言われているらしいけど、私にとってはこのリョーヴィンの自分本位さ、臆病さ、内向的で自分をすぐに恥じたりかと思えば強気になったり、周りの人とのコミュニケーションでウッキウキしたりがっっくりきたりする純朴さにすごく癒されたしとにかく共感させられることが多かった
特に前半、農民に混ざって草刈りをするときになんか一瞬トランス状態になる時の表現が非常に良くて だだっ広い農場で、鎌を持って、背の高い草を一定のリズムで農民と一緒にザクザクやっていくシーンなんだけど、初めなかなか上手く刈り取れずにベテランの農民に置いてかれそうになったりするし思ったより早く疲れが来てマジ俺ひ弱すぎん?て卑屈になりかけたり、疲れがピークになった頃に集中が降りて来て、無我になって、何も考えずに腕だけが動いている、もう疲れてやめたいくらいなのに、腕は、鎌は辞めることを知らないみたいにどんどん先は進んでいく、みたいな時に自分の主体はこの鎌なんじゃないか?みたいな変な気持ちになるな、超わかるやん〜!!!!!!みたいなさ
リョーヴィンの話おもろいのにな
話の終盤、森の中で夕立に降られた妻と子を迎えにいくリョーヴィンのシーンで、近くに雷が落ちる描写があるんだけどこの辺の描写とかすごい劇的だし思わず入り込んじゃった こんなにビジュアルを想起させられる小説は初めてで、それも含めていい経験だったなあ
ほかにもね、

このシーンもすごい好きで、蒸気機関車がホームに入ってくる描写なんだけども、まず遠くから音が聞こえてきて、真っ黒な機関車がモクモク蒸気を吐きながら迫って来て、っていうのが鮮明で面白い これ自分で初見面白かったのが、読み進めていくうちに頭の中で上下するクランク、霜だらけの顔の機関士、と自分の脳内の機関車の造形に情報がどんどん生えていく感じがしたんだよね で最後は犬!犬が、客車に突然生えて、鳴き声も蒸気とか金属の擦れる音に紛れて聞こえて来たりして、そんで、あっ犬いる、って認識した一瞬だけ見えてすぐ視界の外に消えるみたいな映像がありありと………いやまあ「心はこうして創られる」で語られてるように、あくまでも私にはリアリティのある映像に見えるけども、よく思い出せばなんの犬種なのか、客車のどこなのかもあいまいで、もしかしたら背景日本かもしれん
でも、こんなに短い描写なのに、アニメ見てるような映画見てるような気持ちにさせられる体験あまりなかったので衝撃だったなあ 多分、無限列車編で克明に蒸気機関車の動く描写されてるのを見てたから余計にうまく頭の中で映像が描かれたという追い風もあったと思う ありがとうufotable
ビジュアルシンカーの人ってもしかしてこうやって小説楽しんでるのかな?私はここまで表現されないとダメみたいです

リョーヴィンは結果的に、愛していたキティに再度プロポーズをして結婚できるんだけど、リョーヴィンてマジで男で、この人の人生は基本、自分の領地に引っ込んで男衆たちと農業に励みに励んでいて、近しい女性つったら昔から支えてくれている世話係のばあやくらいのもの、友人のオブロンスキーは軽率なやつだし、理想の家庭生活とはあんなもんじゃない、理想の生活とは、人生とは……みたいな男(実践できてるかは別)なので好きな人との結婚に対してこんなふんわりした気持ちなんですよね
(男性一般の例に漏れず…って表現がまたコミカルでいいよね 昔から変わらないね)
今とは結婚の考え方が違う(夫は妻を教育する義務がある、夫の身体の一部である、的な)ので余計にだけど、俺が領地経営頑張るからキティは部屋で編み物をして待ってて♡みたいな感じなのにキティはボランティアで看護婦的な経験をしているのと、末っ子だからか相手のしてほしいことに敏感で、明確な行動をするタイプなので、リョーヴィン的には思ってたんと違う…って若干引いたりするんよね
周りから見ればなんとよくできた若奥様!旦那様は幸せ者ですねえ、なんだけど、本人からしたら違う違う!いや俺は!待っててほしくて!!俺を!!!!になるのがめちゃめちゃ面白くて
そもそもアンナ・カレーニナの書き出しが「幸せな家庭はどれも同じように見えるが、不幸な家庭にはそれぞれの不幸な形がある」で、なんかもうこの一文読んだだけでそれな………になっちゃうやつなんだよね
不倫をしてあっという間に身を持ち崩すアンナも、その身総てをアンナに捧げる覚悟までしたのに自由がなくなった気持ちが膨らむヴロンスキーも、理想の結婚生活とは少し違ってがっかりするリョーヴィンも、浮気をして妻から呆れられるオブロンスキーも、幸福な一面と不幸な一面があって、本人の性質がどちらをより重視し、どちらに目を瞑るのか
暮らしってただそれだけなのかもしれないね
夫を許し、子供達のためにも家庭を支えると決めたドリーも心のどこかではいつまでもオブロンスキーへ疑いの気持ちがあるはずだし、でも家庭のために奔走する彼を見ればその時だけはきっと、心の中のどこにも疑う気持ちを見つけられなくなるだろうし
どっちに重きを置こうか?って
でも、アンナのように頭ではわかっていても、口から出る言葉は破滅的でちぐはぐなことばかりになっちゃうのを見てると、読者はアンナの気持ちが全部、まるで自分がそう感じているかのように説明されてるからアンナに共感も哀れみも感じられるけど、表面的に出て来た言葉だけしか知らないヴロンスキーやカレーニンからしたらめちゃくちゃなこと言うなぁになるんよなー ヴロンスキーも、カレーニンも愛し方は違うけど、確かにアンナは愛されてたし
舞台とか映画とか、映像作品になってるみたいだけどこの心理描写どうやって表現してるのか気になる 漫画にしたらずっとモノローグ続きそうな感じだけど…
トルストイは、終盤のアンナのめちゃめちゃな思考書いてる時や気持ちが離れ始めたヴロンスキーの思考を書いてる時どんな思いだったんだろう ていうか、同じような思考に陥らないとあれ書けないよね?結構危なかったんじゃないの?
アンナが、螺旋階段を降るように破滅的で真っ暗な考えに取り憑かれているのと対照的に、リョーヴィンは人生とは、生きるとは、信仰とは、みたいなものに答えを見つけて、それまでよりグッと生きやすくなったのをみて、それもまた救いだなあと感じたんだよね 上向きの、明るい救い
アンナの考えには暗い、行き詰まったときの自分とシンクロすることで救済を感じたけど、リョーヴィンの答えは探していた半身がやっと見つかったみたいな救いで、一つの物語で二回救われるとは思ってなかったし、そんなことを期待もしてなかったから、なんだろうな
そんなこと期待もしてなかったから、こんなに長文書いてるんでしょうね………🤷♀️ 自分でもびっくりしてるわ まだ書き足りない気がするもの
あー面白かった!楽しかった!
訳した人何人かいるらしいし、気が向いたら別の人の訳したものも読んでみようかなくらいの気持ちの昂りがあります
さて、次はカラマーゾフの兄弟だー!
でも現状、昨日まで読んでた丁寧丁寧丁寧〜なトルストイ(かつ訳者さん)の美しい織物みたいな文体と、うってかわって……その………うってかわって………なので…ちょっと読みにくい うん
台詞や言い回しの美しさとかも身分の違いなんかなあ?
ふう 終わり!