本稿はゆる民俗学・音楽学ラジオ 非公式 〜集まれ妖怪の森〜 Advent Calendar 2025の9日目として執筆されました。
8日目はTomoko Saitoさんの廃校に行って教育について考えた話です。
10日目はいなださんのわたしとシダ植物です。
なお、本年は執筆希望者の増加により、同時にゆる民俗学・音楽学ラジオ 非公式 〜燃え上がれ壁たちの小宇宙〜 Advent Calendar 2025 が進行しています。
こちらの9日目はひなぎりとさんの初夏に濃ゆいコンサートに行ってきた話です。
拝啓、あるいは言い訳の時間
冬来たりなば春遠からじと言いますが、今後ますます厳しくなる寒さを思うと考えるだけで肩を上げてしまいます。皆さんは暖かくしてお過ごしでしょうか。
はじめまして。あるいは日頃大変よくしていただきありがとうございます。インターネットでは大抵、ウェストファリアという名前でお世話になっております。
冒頭にあります通り、本稿はYouTube・各種ポッドキャスト等で配信中のゆる民俗学ラジオ・ゆる音楽学ラジオのサポーターコミュニティ発非公式企画であるアドベントカレンダーの一記事として執筆されました。昨年のアドベントカレンダーには種々の名文が並びました。音楽や民俗学に絡めたものから、壁(サポーターの通称)になるまで・なってからの思い出を語る記事など。本年も変わらず、今日までの間にも当然生まれていますし、今日からも数多くの名文が生まれることでしょう。
そんなアドベントカレンダーにおいて、本稿のメインテーマは「手紙」です。音楽にも民俗学にも一見関係はなく、もちろん壁としての思い出語りでもなく、サポーターコミュニティに絡んでもいなさそうなテーマですが、そこはまあ、後からきっちりと
本題、あるいは幼少期の思い出話
前段が長くなりました。
さて、「手紙」です。(本稿では基本的に、手紙と書いた場合葉書を内包しているものとします。あしからずご了承ください。)
これを読んでいる皆様は、最近手紙や葉書を書かれていますでしょうか。手軽にやり取りする手段が数多くある現代において、日常的に手紙を書かれる方は少なくなったように思います。日本全国において最も郵便物が盛り上がるタイミング(私見)である年賀はがきも、発行枚数は減っています。2026年の年賀はがきは昨年から3割ほど減らしたようです。
かくいう私も、21世紀生まれの現代っ子。中高生の頃から友人とのやり取りはインターネットを経由するようになり、手紙を書くにも住所を知らない友人が増えていきました。11月か12月に年賀状のために住所を訊けばよいほう、引っ越してしまえば新しい住所を教えてもらうわけでもなく、届かなかった年賀状が返ってきたこともあります。年賀はがきは毎年両手で数えられそうな枚数を、それ以外で手紙を書くのは授業くらいだったでしょうか。あるいは何かのお礼状か。そんな私でしたが、しかし手紙には縁のある子どもでした。
高校を卒業するまで暮らしていた実家には父方の祖母も暮らしていました。ここで少し、この祖母について話す時間を下さい。
祖母は元小学校教員で、字が上手く、ピアノとハーモニカはでき、若い頃にはスポーツもバリバリにできた、という人だったそうです。私が物心ついたときには既に定年退職をしており、生憎とスポーツをするところは見たことがないのですが、字と楽器演奏については聞いた若い頃と同じようにやっていました。田舎だったのでご近所は大抵顔と名前が一致するような地域でしたが、地元小学校に勤めていたからか祖母は中でも顔の広い部類で、私はよく「先生のお孫さん」と呼ばれていました。父方は祖父も元教員だったのでどちらの顔を思いながら呼んでいたのかはわかりませんが。祖母とは顔も似ていたので先生にそっくりだ、と言われることも多々。
余談ですが、祖母は教員時代作文指導に熱心で、「小学校高学年にもなったら文章は常体で書くべき」という持論を唱えていました。今私は祖母の教えをぶっちぎりながらこれを書いています。許してくれおばあちゃん。
本題に戻りましょう。この祖母というのが大変筆まめな人で、何かと友人知人、つまるところ教え子や教え子の家族、元同僚の教員エトセトラ、に手紙を送っていました。ポストまで手紙を出しに行くおつかいをこなしてお小遣いをもらっていた幼少期、筆ペンで書かれた達筆は宛名すら碌に読めなかったのを覚えています。
そういう人ですからある種当然ですが、大量の年賀はがきを買い、大量に書き、そして大量の年賀状を受け取っていました。田舎の小さな郵便局で買っていましたから、あの局の売り上げに我が家はそれなりの割合で貢献していたのではないでしょうか。(祖父も結構な枚数を、父母もそこそこの枚数を書く家でした。)元日に届いた年賀状を家族それぞれに分ける役目を担っていましたが、祖父母宛の葉書がとにかく多い。毎年1枚はくじで記念切手が貰えていたように思います。当選確認も代行していました。下の桁から見るのが素早い確認のコツです。
そんな家で18年間過ごした後、大学進学のために引っ越し、一人暮らしが始まりました。
本題、あるいは大学時代の話
自分が大学生になった頃も祖母が筆まめなのは変わらず。新居へ引っ越して一カ月ほど経った頃だったでしょうか。祖母は手紙をくれました。18年そこそこ生きていれば、もう達筆は読めるようになっていました。読み終わった自分はこう思ったのです、「返事を書こう」と。
確か兄が一人暮らしを始めた頃も祖母は手紙を書き、返事が返ってきたことに喜んでいたはずだ、と思い至りました。100均に行って封筒と便箋を揃えました。きっとこの後も手紙を書くことがあると思って、同じ金額でもできる限り多い封筒と便箋を。郵便局に行ってかわいらしい切手を買い、正しい手紙の書き方からはあえて少し外して、返事を書きました。
そこからしばらくの間、1か月に1回程度祖母宛に手紙を書き、祖母から返事が返ってくることを繰り返しました。段々と新入生の目で見る大学にも目新しさがなくなったり、2カ月連続で暑いせいで季節を感じる内容にできなかったりもしましたが、飽き性な人間の割には続いたように思います。時候の挨拶を好き勝手に考えるのが楽しんでいました。手紙に使うからと言い訳をして新しいペンを買い、万年筆用のインクにも手を出して、高いものではありませんでしたが買ってみたこともありました。
ただこの趣味も4年間続いたわけでもなく、細かいことは覚えていませんがせいぜいが1,2年だったように思います。その後はまた、手紙を書かない生活に戻りました。
自分と手紙との関わりは、だいたいこんなようなものでした。筆まめを名乗れるほど書いていたわけではありませんが、特定の時期は結構楽しんで書いている。そんな距離感です。
敬具、あるいはご提案
さて。
長々と過去の話を続けてきましたが、そろそろ
手紙を書くのは楽しいものです。書き損じて新しい便箋や葉書を用意している時間ですら。きれいなレターセットを買うことも、飾るためでなく送るためにポストカードを買うことも。筆記具やインクに手を出してこだわったり、少しでも整った文字を書こうとしたり。
誰かに伝えたいことを伝える手段は数多くあります。スマホ一つあれば見たものを写真に撮って送ることができます。そのまま音声でつながることもできます。媒体を問わないこのアドカレの記事群も、それぞれが選んだ表現の手段です。短い文章も、長い文章も、音声も写真も動画も。個人宛にも、世界へだって。多種多様なサービスが伝えるために展開されている今、手紙のよさを語ることは、いくらかアナクロ趣味だろうと思います。自分だってそう書いてはいないのに、語ることはおこがましいとも思います。
それでも、良いものだと信じていたいのです。私はあの人の孫ですから。
こんなことを言って、手紙を書きたいと思ってもまず手紙の送り先にすら困るのが今の私の暮らしです。年賀状以外で友人に手紙を送ったら困惑されそうな気がしています。今から文通相手なんて見つけられる気がしません。でも書いてはいたい。もしこれを読んで、少しでも書こうと思った方、どうでしょう。同じように思っているでしょうか。
そんな私に、あるいはこれを読んでいるあなたに。
ほんとに雑に生配信はじめました【「ほんとに雑」生配信版】というYouTube Liveがあります。冒頭に出てきたゆる民俗学ラジオ・ゆる音楽学ラジオのチャンネルで、毎月大体第二水曜日、開始時刻はちょっと気まぐれですが概ね夜と呼ぶ時間。ふたつのチャンネルで交代交代に配信しています。リンクを貼った11月はゆる音楽学ラジオチャンネルでしたから、次はゆる民俗学ラジオのチャンネルでしょう。
この配信では、収録・配信の場所である東京は池袋のゆる学徒カフェに届いた、「物理の」おたよりを読む時間があります。ええ、物理のおたよりです。言葉通りのハガキ。
ちょうど明日が(恐らく)生配信の日。百聞は一見に如かずといいますから、見たことのない方はぜひどうぞ。壁たちのおたよりを聞いてください。よくある葉書から封書、さらには各地のポストカードを。特に上毛かるたが頻出です。コメント欄に集まる壁も、悪い人ではないんですよ。ちょっと、その、怖く見えることはあるかもしれないんですが。
配信を見て楽しそうだと思ったら、普段のラジオを聞いて好きになったなら。
来月の配信まではまだ一月あります。郵便局に、最近はコンビニでも売っています。葉書を、便箋を、封筒を、切手を。買いに行ってはみませんか。ちょうど1月ですから、文房具売り場や雑貨店で、一枚イラストの入った年賀はがきを買うのもいいかもしれません。
私も最近は忙しさにかまけて随分ご無沙汰してしまっていたところです。今月はこれも書いていましたし。書店オフ会で買ったポストカードがまだ残っているんでした。いつ郵便料金が上がるかわかりませんから、切手も減らしてしまいましょう。インクも事務用以外を仕入れてみましょうか。何時の間にか書き心地が悪くなったつけペンを、そろそろ憧れのガラスペンに切り替えるときでしょうか。
ラジオで書くことに慣れたのなら、知り合いに手紙を出すのも、きっといいでしょう。年賀状に、いつもより一言多く添えるだけでも、伝わるものは違うかもしれません。郵便屋さんがきっと、川の向こうも、山の上も、海の彼方にだって、届けてくれるはずですから。
確かにそこへ届くことに、私からほんの小さな祈りを込めたところで、本稿のひとまずの終わりとしたいと思います。
追伸、あるいは暗い現実の話
ここからは、明るくない話です。
今年の1月、年が明けてすぐの頃。祖母は鬼籍に入りました。
大学4年の年末。1年ぶりに実家に帰った日。実家に向かう車の中で、同じ日の昼間に祖母が救急車で病院に運ばれたと聞きました。なんとなくあまり良くないのは察していました。夏に就職先が無事に決まった時に久しぶりに実家に手紙を書いたとき、母親から「祖母から返事を出すのは難しい」と連絡を貰っていましたから。年末年始の挨拶のために祖母の知人からかかってきた電話に誤魔化しながら応えていたことが妙に印象に残っています。
祖母は私にとって近しい他者でしたから、わかりあえないことも当然ありました。大学3年の年末から1年間実家に帰らなかったのは、就職関連の忙しさだけが理由ではなくて、祖母も含めた家族とのわかりあえなさも原因だったように思います。それでも亡くなってから、もっと何か自分に出来ることがあったのではないかと思うくらい大切に思っていたし、大事にされた自覚がありました。
手紙はきっとどこにだって届きますが、あの川の向こうには、あの山のさらに上には、海の彼方のところには届きません。届かぬところにいる人に対して自分ができることは、祖母からの影響と不可分なこの自己を抱えながら生きていくことくらいだと思っています。
来年の自分がどこでどうしているかなんて、誰にもわかりはしなくって。さらにはこのアドベントカレンダー企画があるかどうかも不確かで。その上自分が何かを書きたくなるかもわからない。何を並べたって鬼が笑うばかりです。
それでも、もし次があるのなら。
その時は常体で書くべきだろうか、なんて思っています。私はあの人の孫ですから。
これにて。本当におしまいです。お付き合いいただきありがとうございました。