仕事をしていて、いいコンテンツを作りたい、ということが多いのだが、いいコンテンツについてちゃんと言語化したことがないのでメモメモ。
いいコンテンツとは、
自分が信じられるコンテンツ
他人が理解できる言葉で書かれているコンテンツ
他人が求めていなくても自分が信じられるコンテンツを通して、他人が求めているコンテンツにすること
なのではないかと思っている。ほぼプロダクトアウトな考え方。
自分にとっていいコンテンツではないものは
自分が信じていないコンテンツ
他人が理解できるコンテンツ
自分が信じていなくても他人が求めているコンテンツを提供すること
であると思う。いろいろ整理していく。
自分が信じるコンテンツ
シンプルに、他人が理解できようができなかろうができようが関係なく、他人を幸せにできるだろうという想いがあるコンテンツ。
きっとこうあるべきだろうな、という、自分勝手な信念なもとに作られたコンテンツ。
きっと「すてきな勘違い」なコンテンツ。何かいいものって、きっと「すてきな勘違い」によって生まれている。素敵なコンテンツはいつだってアンチテーゼだ。そして素敵な勘違いは、きっと布教したくなる。「勘違い」というものは常に孤独だから。
たとえ今それが誰からも信頼されなくても、理解されなくても。孤独、それは常に孤独から離れるために、他人に理解されるために力が働く。だから、「すてきな勘違い」をしている人はきっと布教するんだろう。
自分が信じられることというのは、他の何よりも大事。信じられれば、布教できる。信じられなければ、詐欺だと思う。本心から布教できればそれは自分が信じているコンテンツだということだ。圧倒的に自分と向き合おう。自分の正しさについて向き合おう。
自分が信じられるコンテンツが見つからなければ、それはまだその領域を知らないということだ。主張を持てるまで調べよう。
他人が理解できる言葉で書かれているコンテンツ
他人が求めているコンテンツではなく、他人が理解できる言葉で書かれているコンテンツというのがポイント。他人が求めているコンテンツを作る必要はない。他人が理解できる言葉で接点を作るので十分だ。
他人が求めているコンテンツというのは、平均的なコンテンツだ。失礼だけど、確率的に見るとそうなる。たとえ得たとしても広がりがない。求めている答えに出会って、自分の判断を強化するだけだ。そんなコンテンツに意味がない。
だから、他人が求めていなくても、少なくても他人が理解できる言葉で書かれているコンテンツを書こう。求めていなくても、理解してもらえればいつかあなたの布教は伝わるはず。SERPSに差を生もう。上がらなくても別にいい。付加価値を作ろう。
SEOという媒体をやっていると、つい予定調和的な文脈でしか考えられなくなる。だけどコンテンツをやっている人間としては、予定調和なコンテンツなんて自分達が介在している価値なんてないと思う。上位のSEPRSを圧倒的に変えよう。
他人が求めていなくても自分が信じられるコンテンツを通して、他人が求めているコンテンツにすること
結局プロダクトアウト。
Googleのアルゴリズムは絶対にマーケットインなアルゴリズムにならざるを得ない。SNSも最近はそう。アルゴリズムは進化すれば、結局レイトマジョリティ側に平均回帰していく。それが世間だ。人間だ。そして平均的な人間に回帰していけば、それはそうだ、マーケットインが正解になる。
でも自分たちは別にSEOだけやりたいわけではない。もちろん上げなきゃいけない・でもいいコンテンツを作りたい、の瀬戸際にいる。これはSEOをちゃんとやっている会社ほど悩んでいるはずだ。
いいコンテンツで圧倒的に勝とう。Googleが評価できなくても、人間が評価できるようにしよう。結果は後から指名検索でついてくる。