人間と仲良くなることについて、仲良くなったことの嬉しさ以外に、「人間と仲良くなれる社会的スキルがあることが証明された気がして、嬉しい」という気持ちがあることに気づいた。
大前提として、仲良くしたい人としか仲良くしないから、社会性の証明を目的に仲良くすることはない(目的は仲良くすることそれ自体である)けど
でもなんか、小さいときから「自分は社会的なコミュニケーションが下手だ」というコンプレックスがあって、歳を重ねてコミュニケーションができるようになってることが嬉しいらしい。
まあ、コミュニケーション下手だと思ってるわりに付き合いの長い友達は全然いるけど でもまあ子どもの頃の友人たちはみんな、コミュニケーション力じゃなくて、実直でいることと一緒に過ごした時間の長さで勝手に手に入った財産だから 相性と運だと思ってるんだよな
だからね、インターネットで仲良くしようと接触を持った人間たちとの関係はね、社会的コミュニケーション初心者です😖💧 の気持ちで頑張っています
コミュニケーションにハードルを感じない人は、コミュニケーションを社会的スキルとして意識しないのかな どうなんだろう
私は真っ直ぐであることを何も意識せず自然にできるので、それをやろうと思うこともないけど、そういうのが苦手な人からするとスキルの一種なのかな
徒然なるままにしては面白い話になったんじゃないでしょうか
寝ろ
はい