分からないこと、分かろうとすること、味。

wostok
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コーヒーが分からん。

コーヒーというか、味覚、あるいは味を感じて表現することが分からん。皆さんは分かりますか?

ここにわざわざ文章を読みに来てくれる人が誰なのか分からないんだけど、多分Twitterのフォロワーさんの何人かなんじゃないかと思う。そうであれば、わたしより味を分かりそうな人たちが読んでくれていそう。

そもそも味というのはいくつかのレンズを通してしか外に出てこない気がする。めちゃくちゃ主観的なもののような気がする。こんなことは5億回と言われている気がしますが。気がするってこんなに重複して使っちゃてまぁ。それでもわたしが考えて文章に起こすのは初めてなので書きます。

〜〜ピヨピヨサンダル〜〜

〜〜自分が書いた文章を読み直すのが一番つらい〜〜

まずそもそも、【味自体】と呼ばれるものがあると思う。とりあえずそのように仮定します。それそのものの味。それを客観的に示せるのかは別にして、わたしたちが味というもの。食べ物や飲み物が持っているtaste。

次にそれを感じるための器官として《舌》がある。そうですね。これはわりとあると思うんですね。

つまり、

《舌》←【味自体】

ということになると思うんですよ。

【味自体】が《舌》を刺激する、ということになるんじゃないかな。《舌》より《脳》と言うべきなのだろうか。でも分からんのでとりあえず《舌》でいきます。

何が言いたいかというと、【味自体】は《舌》という器官を通して、感じられるんじゃないかと思うんですよね。舌が味をとる、ということですよね。

これ自体、ごくシンプルな話のように思えるんですが、その《舌》という器官が人によって全然違うので、それが難しいなぁ、と最近思うようになりました。そんなん嗅覚も視覚も一緒やろ、ということなのかもしれません。そうなのかも。

《舌》という器官が人によって全然違うということなんですけど、なにが甘くて甘くないのかはその人の生活や嗜好に依拠する気がしてならないんですよ。相対的にしか評価ができないんじゃないかなぁ、と思っています。間違ってるかもだけど。

例えば数値にして10段階のうち5の甘さを持ったものを口にした時、普段3の甘さしか口にしない人には、5は7に感じられるかもしれない。逆も然りですよね。何が甘いか、何を甘いと感じるかって人によって違ってしまうから、まず感覚を得る時点で、ブレが生じてしまう気がする。

さらに厄介なのは、その「甘み」は、日常生活では言葉を通してしか表現されないこと、だと思うんですよ。

「アプリコット」のような甘さと言われた時に、日本でとれるあんずとヨーロッパのスーパーで売っているアプリコットは同じ甘さを有しているのか、季節や時期によって、同じ国でも味わいが変わるのじゃないのか、じゃあ味を表現する時に出てくる「アプリコット」って、いつ、どこの「アプリコット」が前提とされているのか...みたいな。あるいは、「アプリコット」を食べる習慣がない国で、その甘さは「アプリコット」としては表現されるはずもないので、どういう表現になるのか...みたいな...。

だから、コーヒーのテイストに例えば「アプリコット」と書かれている時に、その酸や甘みって自分が想像する「アプリコット」と同じなのか、全然違うのか分からないし、分からないのは自分の舌がおかしいのか、前提としている情報が違うから仕方ないのかも判断しづらいし、その「アプリコット」は他のコーヒー屋さんが言う「アプリコット」と同じなのか、似たような傾向はあるけどやっぱりそれぞれ違っているのか、それもすぐには分からないなぁと思っています。

こういうのはもう少し考えて記憶しながら飲んだら分かるようになるのかもしれないし、残念ながら分からないままなのかもしれない。せっかく飲んでいるので、分かったらいいな〜と思っているけどね。

【味自体】は口に含めばすぐに感じられるものだけど、舌と言語表現を通さないと感覚として共有され得ないので、なかなか難しいなと思った次第です。

こういう味わいや味の表現って、絶対いろいろと決まっているはずだし、探せばなんでも見つかると思うんですけど、探し始めると今漠然と思っていることも書けなくなっちゃうなと思ったので書きました。やっぱりむずかしいね。味。毎日感じているけど。ちなみに、今飲んでいるcollectiveのアドベントカレンダーのコヒは、オレンジみたいな酸をたたえています。どの地域のいつ採れたオレンジだろうな。でもオレンジって感じはしますよ。ほなまた。もうちょっとちゃんと頑張って自分で先行研究探します。さぼってごめん。

@wostok
日記を書いてます。