朝、歯医者さんにいく。虫歯のチェックをされる。歯科衛生士さんと歯医者さんが、この歯を削るか削らないか議論している。この歯、多分10年とかそのレベルで議論の俎上に載せられ続けており、結局いつも「まぁ様子見で」ということになって、放っておかれる。今回もそうだ。運のいいやつめ。虫歯が少しずつ進行しているわたし自身は、多分どちらかというと運が悪い。かといって、体の一部を削られるのは怖い。穴が開いてもまたふさがるが、削られたものは戻らない。不可逆なことは恐ろしいのだ。
その後、どうしてもやらないといけないことがあって、近くのお店屋さんに行く。美味しいものを注文して、それを餌に作業を進めることが目的だった。行って、そして行ったことを後悔した。そのお店屋さんの店主さんらしき人が来てから、店内の空気がピリッとした。わたしは、あれは嫌な意味でのピリッとだと思う。それまでは、店員さんが朗らかに接客していて、静かで、居心地が良くて、口にするもの全て美味しかったのに。
店主さんらしき人が来て、店員さんといろいろな仕事の話や打ち合わせが始まって、店員さんのミスが発覚して、店主さんらしき人が結構大きな声で店員さんに注意していた。それもミスを注意するというよりは、ミスにかこつけて、全く別の話題で店員さんをなじてっいるように聞こえた。しかもその語りが向いた先は、店員さんだけではなかったように思える。こちらに聞かせるような、オーディエンスを意識した、自意識の強い言葉たちが、糸を引き空気中で絡まり腐敗していくような、そういう嫌な感じがした。
店主さんと店員さんの関係性は知らないし、そのミスの経緯も知らない。怒ること自体がだめだとは全く思わない。でも、どうしてもその店主さんと相容れないなと思った。
ミスそのものと、全く別のネガティブな話題を絡めて、非建設的にミスをあげつらうのは美しくないなと思う。でもコンテクストが分からないので、これ以上は何も分からない。そうしなければならなかったのかもしれない。だったら仕方ない。わたしは美しいとは思わないけど、それはこちらの都合だから、何かを言ってはいけない。
それよりも嫌だったのは、お客さんがいる前で大きな声で注意することだった。あの場にはわたし以外にもお客さんがいたし、そのような状況で店員さんを大声で注意すること、言ってしまえば、物事の裏側を見せることが苦手だなと思った。そりゃお店屋さんなんだから裏があるし、裏があってこその表なんだけど。ただ、お店屋さん、ひいてはプロの苦労や裏側を見たいとは思わないタイプなので、あの店主さんとは相容れないなと思った。もちろんわたしと真逆のお客さんもいるし、距離感が近い方が良い、それこそが良いという人も多いのかもしれない。ただ、個人的にはプロとは距離をもって付き合いたいし、プロとして綺麗な状態だけ見たい、完成したものだけ見たいと思っている。
多分無意識に、消費行動だけに徹する快適さを個人店に期待しており、個人店に通うことによって生じる責任のようなもの(これは以前仲の良いフォロワーさんが言っていた気がする)、あるいは対人関係において生じる負荷から逃げているのかもしれない。いやどうだろう。書いていて分からなくなってしまった。大好きな個人店だってある。そのお店の方たちの素や裏側を見せてもらえたら嬉しいなと思うし、光栄であるとすら思う。多分、「怒り」「不機嫌」というのが苦手なんだろうな。
「怒り」や「不機嫌」というのは絶対に人に見せてはいけないもので、物事は綺麗にラッピングしてから伝える必要があると思っている。だから余計に、その店主さんのことを、裏側を見せてきて苦手だなと思ったのかもしれない。そして初めて訪れたお店だったから、余計にびっくりして怖くなってしまったのかもしれない。
結局最後は人なのだな。全ては人によってなり、人によって終わっていくのだ。みんなはどんな人が苦手ですか。そしてどんな人を好ましく思いますか。