友達が、愛についての日記におたよりをくれる。関西に残してきた友人とはまさにあなたのこと!!!あの愛の日記の登場人物の1人はまさにあなたなのでした!!!
どうしてるかな〜元気かな〜〜お手紙くれたのめちゃくちゃ嬉しかったな〜と思っていたのです。愛やね♡ミスド買うね♡
以下は日記と回想。
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上野でコーヒーフェスティバルやってたので覗きにいく。
畠山大輝さんがBespoke styleをやっているというきらめき情報を友人からキャッチしていたので、Bespoke styleしに行きました。
チャンピオンがカウンセリングしてくれて、好きな味のコーヒーをいれてくれるよ〜;;
前のお客さんとチャンピオンがお話するのを聞いてたんだけど、コーヒーというのは要因によって味が変わるし、その変化の要因を特定するのがまた難しいということだった。まえ聞いてたPodcastでも同じことが言われてたな。水ってコーヒーを決定づける大きな要因だけど、本当に水で変わったのかは分からない、みたいな。
コーヒーって明確に科学なのに、それにしては環境要因で変わることが多すぎるな〜、と最近思っている。そんなことない?だから、家で高い豆を淹れるモチベーションみたいなのが下がってしまって(元々ほとんど淹れてないんだけど)、たまにお店に飲みにいくのが自分には合ってるなぁと思うようになった。
一つの豆に合う器具と水と温度を決定するのは大変だから豆ごとにレシピ組むのは現実的じゃないし、豆の最大公約数を見つけてレシピ組めるほど検証する元気もない。多分これが自分の限界なんだろうな。
それであれば、めっちゃいい豆!はお店にたまに飲みに行きたい。客としてはいい客じゃないんだろうけど。こういう時、無責任に自分が楽しくあることだけを考えちゃうな。
話がそれちゃった。
チャンピオンに接客してもらう番になった。チャンピオンはとても人当たりよく、丁寧にヒアリングして、わたしの好きな味を導き出してくれた。酸ひとつとっても、エチオピアウォッシュトの酸とケニアの酸で全然違う。アナエロビック系が好きと言っても、醤油味を感じないアナエロになると、大人しめの味になる。わたしが発するひと言ひと言が、この人のなかで分岐点となり、計算され、最適な答えが出されていく〜!!と思うと、すごく面白かった。相手からの質問も、思い返せば分岐点を形成するためのもので、そうやって味を決めていたんだな。
隙のない味、と一緒に飲んだひとが言っていた。みんなは隙のない綺麗な味と、派手で華やかだけど隙ある味、どっちが好き?
これってもう思想だな(と言ったのは一緒に行ったひとだったけど)。歴史を知るなら、まず歴史家を知れ、とE.H.カーは言うとるわけです。それと同じですわ。誰が焼いて淹れるコーヒーなのかを知って飲むべきな気がします。(とわたしは思った、そっちの方が楽しそう。コーヒーという液体そのものを楽しむのではないのかもしれないけど、まぁいいんですわ、味そのものという素朴なものはないと本にも書いてあった)
でも、誰が焼いて何をどう抽出してどんな結果になったのかを知るためには、ある程度、コーヒーに対してどういうアプローチがあって、どれが採用されているのか、全体のどの流れに連なっているのかを知る必要がある。気がする。歴史家を知っても、その人の手の内が分からないとやっぱり意味ないもんね。その人が何をやりたいのかを知るには、全体の中でなにが可能なのかを知らないといけない。アドルノ批判してるサイード読んだとて、アドルノが分からないと何も分からんということですよ。
コーヒー屋さんになりたいわけではなく、ただ漠然とした趣味なのに、どうしてコーヒーのこと考えるんだろうって最近思ってたんだけど、思想として飲み物を受け取って、解釈できたら楽しいからだろうな。結局ひとが好き。目の前のひとが、なにを、どういう意図で作って、結果としてなにを持ってくるのかを理解できたら楽しいだろうな。
じゃないですか♡
(読み返して、でもやっぱりコーヒーって再現不可なものだろうし、そんな脚注つきの人文学の文章みたいにはいかないだろうな〜とか思った。
そもそも豆を作るというところが抜け落ちている!!!豆ありきなのに。全員豆の奴隷なのに。
まぁいいや!)
そう思って夕方神保町のいつものお店に行ったら、コーヒーが美味しすぎてなんじゃこれってなった。めっちゃ美味しかった。すごい。なんか、軽くて、愛しくて、可憐で、春だった。いつもお世話になっていて、本当にありがとうございます...;;
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友達が、おばあちゃんのこと好きなんだなって高校生の時から思ってたよっておたよりをくれた。そうなんだよな〜おばあちゃんのことめっちゃ好きなんどす。
おばあちゃん、わたしのこと育ててくれてて、3人目の母親みたいなところあるので、やっぱりめちゃくちゃ感謝している(ちなみにわたしは複数母制を採用しています。いいですよ。その辺の女性をみんな母にしていく。もっと広まってほしい。4人目の母も5人目の母もいます)。どんな日でもお弁当を作ってくれた。彼氏から誕生日プレゼントもらった直後に別れてしまった時(意図してなかった、わたしがフラれている)、「プレゼント返してきなさい」と、わたしに対して怒っていた。規律、規範の人だった。
そんな人に途中から育てられたのに、アンチ規律、アンチ規範になっちゃった!朝起きてきたら、孫の耳に金属ブスブス刺さっててめっちゃ嫌やったやろな…ごめんやで…そうしないといけない瞬間っていうのがあるやん、おばあちゃん。分かって。分かってくれへんのは知ってるけど。
めっちゃ好きだからこそ、おばあちゃんと最後に交わした意味のある会話が到底受け入れられないお願いであることに、心がキュッとしちゃう。東京に2年いたら帰ってくるって信じて送り出してくれたけど、2年で帰る気なんてさらさらなくて、騙すようなことをしてしまった。キュキュキュッだね!
根が腐りきって他のどこかで咲けなくなるまであの場所にいるのは無理だったんだよ〜〜ごめんね。
おばあちゃんのことすごく好きだけど、やっぱりどういう人かよく分からなかった。
卒論を書くとき、朝まで書いてて、そしたらおばあちゃんが起きてきて、「おばあちゃんもう書けないよ〜;;」とメソついたら、「あんたが書くって決めたんやから最後まで書きなさい」とのことだった。この言葉は今でも時折召喚している。少なくとも、まっすぐな人だった。いつか冷静に、わたしたちの関係を分析できる日が来るんだろうか。来たとて、それは幸せなことなんだろうか。どう思う?