人の独占欲というものについて考える。
みんなは恋人を独占したい?なんで?したくない?それもなんで?
支配じゃない愛、拘束ではない愛、わがままではない愛、いろいろあるな。独占欲なぁ。独占欲によって変わってしまう人間関係を思っていて、どうしようもないよな〜と思う。独占しなくても愛って強くあると思うけど、独占してる方が強く見える気がする。少し加速と似ているかも。わたしの愛は、どうだろう。きっと吹けば飛ぶほど軽いな。でも軽くたって愛は愛だから良かろう。愛もいろんな愛があるね。
わたしは人に何かを渡すのが好きだよ。それを愛だと思っているかも。そう思いながら周りを見渡して、すごくたくさん与えてくれる友人たちのことを思い浮かべた。その人たちに十分に返せているかな。いないかも。愛。その人たちは愛と思って渡してなくても、わたしは愛と思って受け取ってるよ。渡しすぎてダメになるギリギリのところを歩いていきたい。渡したいと思った時にはもういないもんね。この日のあなたはまだ知らないだろうけど、草枕閉店したよ。渡せなかったじゃん、愛。
家を出て、寿司を食べ、人々と別れ、コーヒー屋さんに行く。偶然の導きにより友達と合流する。友達はお互いのふとした日常の合間にすっと現れる。それがいいなって思う。最近すごくよく会う。喋ったり喋らなかったりする。へへへ、と笑う。道に迷わないしっかりした人。前に別の場所を歩いた時、この人のテリトリーだから迷いなく歩いていくんだと思った。でも多分違ってて、方向感覚がある人だから、どこでも迷いなく歩いていくんだ。あるいはわたしにそれが欠けているか。迷いなく歩き、そのあたりのきらめき情報をキャッチして、自分の関心を形にする時に役立てている。多分だけどたまにこの日記読んでくれてるよね。こういうこと、会った時に言ったらいいんだけど、まぁいっか書いてみてもと思って書いちゃった。あとなんか直接言うと照れる気がする。なんでだろう。ここで書くのも野暮かもしれないけど、こういうの直接言うの、なんか、恥ずかしくない?いかにも、的な。いや知らんわな。恥ずかしいとはなに。めっちゃ眠いよ〜。ずっと同じこと言ってるけど、キラキラして輝いてて、わたしはそれが本当に美しいなーと思っているよ!
コーヒーを一緒に飲みに行った友達のことを考えてたら、プラハやヨーロッパに残してきた友人たち、関西にいる友人たちのことを思い出して、素敵な人にたくさん出会っていい人生だな〜!!!モードになっちゃった。死ぬんか?このまま?朝が来たのに?
話めっちゃずれたわ。これは思いつきの加筆で、最初は違う構成やったんです。話をもとに戻しますね。コーヒー屋さんに行く時の話でしたね。それでは、どうぞ!
コーヒー屋さんでも愛を感じる。愛に満ちた空間だった。その人の人生なんて分からないけど、その場に置いてある文字、人、色々が愛だったな。いいところだった。
その後、友達と別れて岩盤浴に行く。川辺を20分くらい歩く。自分の人生には1ミリも関係ない、どこにでもある関東のベッドタウンっぽいのに、ものすごくノスタルジーだった。わたしの思い出と合致しすぎている。虫の鳴き声、水の感じ、まばらな人、わたしここ知ってる。
岩盤浴ではずっとサイードを読んでた。ワーグナーの話をしている。オペラ歌手に歌わせるメロディを分析して、ワーグナーが反ユダヤ主義であることを主張している。そんな無茶な!というきもちと、オペラを分析できるんか!というきもち。知の巨人だな〜。すごい。ゲーテをして最後と言わしめた全てを知る知識人、サイードもいけるんちゃいますか?あかん?音楽と政治を絡めて考えよ、それが脱領域や!とのことだそうです。大事だな。帰り、ZOCを聴いた。生活の中にいらない人間はこんなに綺麗ですかね。傲慢な歌詞だ!
もっと加速したかったけどダメそう。眠い。おやすみ。明日提出予定のブツ、ひとつも手をつけてない。まぁいいや。おやすみ。