旅行から戻ってきて空港直結の駅で佇んでいると、子どものえげつない叫び声が聞こえた。鬼ごっこをしているらしい。この世の全てが輝いて見えて、生きる喜びを享受している人間にしか出せない声をしている。
コンクリートの太い柱、ひらけた改札前、滅多に来ないであろう空港という土地、鬼ごっこをするには最高のロケーションだろうな。イマジネーションはひたすらに刺激され、その興奮は限界を突破している。そういう声。
「あの子どもには全てが輝いて見えているんだな」と思う。
「わたしにはもうなにも輝いて見えないよ。生きることがしんどいし、死ぬまでどうにか生きるために、知的好奇心を無理やり刺激して頑張ってるよ。コンクリートの柱で興奮なんてもう無理だよ。君にはぜんぶ輝いてるんだね。インターネットから新しい知識を引っ張ってきて脳内の元からある知識と繋げて、無理やりこねくりまわして新しい世界を作ってそれでどうにか興奮してるのに、あの子どもは目の前の世界だけで楽しいんだ」ということに気付いた。
子どもの底なしの生命力への嫉妬と生きることの辛さで泣いてしまった。