1/20の日記

wostok
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前日、燦然ときらめく友人から連絡がある。「明日、これ行きますか?」というリマインドだった。

以前、「クラブに行きたいのだ」とうめいたところ、友人から「じゃあ行きましょう、このような面白そうなところがありますよ」と教えてもらい、じゃあ年明けたら実行しますか、となった。そこから、「本当に行く気にならないとわたしはずっと行かないからな」と思い、時折インスタを覗き、良さそうなものはないかなとチェックしていた。

ふと気になったDJの名前を検索して、おや、わたしの好きなDJと友達らしいねと気付き、実際聴いてみたらゴリゴリのハードテクノであり、じゃあこれがいいんじゃないかとなり、友人を誘った。しかしその後忘れた。全ては帳尻があっていれば良いのだ。

わたしはハードテクノが好きであり、同時に苦手でもある。BPM128くらいのハウスミュージックがきっと1番好き。それより速いのも好き。でも、電子音だけでメロディがないテクノは苦手。このDJはなんとなくメロディアスに思えたので、きっといいだろうなと思って行った。

終電に乗って表参道まで行き、すぐクラブが見つかって、なかに入って、見渡して、踊って。外国の人がとても多いな。バーカンとDJセットが一緒になった空間で、生物学上男性に見える人が大きな羽つきセンスを持って踊っている。ドレスデンのパーティー・アニマルも同じタイプのセンスを持っていた。ドイツのクィア・シーンのかほりがする。そもそもあの羽センスはドイツのクィア・シーンの象徴なのか?ロンドンではああいうのはないのか?西ドイツではどうなんだろう?ヨーロッパのクィア・シーンってある程度共通してるんだろうか...共通しているならなぜ...地理的?SNS?頭の中で問いがグルグルする。血管の中はニコチンがくるくる回っている。なんにせよ身体をしなやかに使ったその人の踊りは美しかった。

目当てのDJがプレイする時間が来て、大きなフロアに戻って、人々と一緒になって踊る。誰にも声をかけられたくない。放っておいてほしい。そのレッドブル、わたしが頼んだやつじゃない、というかわたしあなたのこと知らない。ああぁ、あなたの恋人とわたしを間違えたんですね。それってどうなの、愛を高めて!

踊り疲れてフロアからでる。

フロアで踊っている人たちは、海の中で踊る魚のようだ。フロアを照らすライトは、海面からさす太陽光のよう。この場所という宝物を見つけた魚たちが、ここに集まってゆらゆらと揺れている。それを光が照らす。普段人間の顔をしているわたしたちが、人間以外のなにかに戻ることができるんだ。東京という大海原のなか、宝物をかぎつけた魚たちの回遊。朝が来たら、また海面に向けて泳ぎ、この海を去らなければいけない。

踊っている友人の姿がふと目に入る。そして人混みにまぎれてすぐ見えなくなる。いいな。わたしは疲れてしまって、いまはもう踊れない。魚から人間に戻ってしまった。仕事の連絡が入る。読んでコメントしなきゃ。朝の3時。お疲れ様です。

ひとしきり踊り、クラブを出て、一蘭に行った。友人の提案はいつもひときわ輝いている。一蘭に行ったのはきっと2回目。ふふふ。うれしいね。

わたしたちの隣の席で、女の子が、男性と関係を持った話、その男性の家でカラフル吐瀉物を放流した話、お母さんが心配して某所のすごく良い先生の予約をとった話をしている。お母さん、娘さんのことを愛しているんだろうな。わたしがカラフルな吐瀉物を放流したら、実家の人たちは心配するだろうか。おそらく、他人の家で吐瀉物を放流したことをしかられるだろう。いや、その女の子だってしかられたかもしれない。ナラティブが全てじゃない。でもきっと、話している内容、ちらりと見えたその人の様子から、愛されて育った素敵なご家庭のお嬢さんなんじゃないかなと思う。全然違うかも。でも、そうであってほしい、あの全然知らないガールが幸せな人であってほしい、という気持ちがある。幸あれ。幸せな人が多い方がいい。少しでも、1人でも、幸せな人が多い方がいいからね。お母さんとずっと仲良かったらいいな。少しだけ羨ましい。

その後家に辿りつき、霊的ボリシェヴィキを見て寝た。この世のものではないなにか、という話が好きなので、わたしはわりと好きだった。中学の頃、神隠しに関心を持ち、柳田國男を読んだ。なにも分からず閉じた。また読んでもいいかもしれない。

おしまい

@wostok
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