全然日記ではないのだが。
わたしは実は縄張り意識がめっちゃ強くて、自他境界もある一面においてめちゃくちゃ明確で、自分の周囲を徹底的にコントロールしないと気が済まないんですよ。そう見えてるかどうかは分からないけど。
コントロールというのは他者を直接支配したいのとは多分違っていて、自分が心地よいと思うふるまいをしてくれる人の近くにいるようにしているということです。自分の予期せぬ、あまり心地よいと思わない行動をする不穏分子はなるべく遠くにいてほしい。自他境界を乱すような出来事は遠ざけてたい。そういうことをする人は近くに招き入れない。
だから、誰を自分のすごく近くに招き入れるかということにすごくうるさい。この人にはここまでできるけど、ここから先はできないな、というのがこと細かく決まっている。多分みんなそうだろうけど。嫌いな人そばに置かないもんね。
でもそれだと関係が固まって古くなり老いていくので、一体自分がどこまで普段と違うことができるかゲームをやることがある。それにより大体めちゃくちゃになり、めちゃくちゃや!!!!!と思い、めちゃくちゃなままことが進んでいったりする。
普段と違うことが何かというと、それは他人の思考や行動や生活を自分にとりこんで、自分の中に他者性を増やして、それと自己を混ぜて境界をぐちゃぐちゃにして、なすがままに身を任せることです。とんでもなく楽しいのでみんなやってみてほしい!!!たまにバランスを間違えてぐえっとなるし、後悔もするんだけど、大抵のことは忘れるので、まぁいいんですわ。あるいはもうやってる?
ポイントは、自分にとって心地よい他者の行動を取り入れることな気がする。自分のなかに心地よい他者たちの解釈兼複製が生まれて、自分のスペースを食っていくの、結構たのしいよ。そのうち、自己解釈の他者が自分のなかに根付いて、新しい自己になることもある。自分の中にいる他者はもうはやわたしの想像の産物なんだけど、それでも、「この部分はあの人だな〜」と思って生活する時などがある。
あるいは普段できないことでも、「これは別人格だから」みたいな意味不明な理由でできるようになったりする。それをするのは自分じゃなくて、自分の中にいる他者性みたいな。よく分かんないけど。
何が言いたかったというと、普段境界を明確にして縄張りを設けている人は、他者性を増やすと、境界が乱される不快さと目新しさとそれによる興奮がないまぜになってええ感じになるでしょう、ということです。
いつかは全部を飲み込んでしまいたいね!目の前のものを全部、取り込んで、もっと先にいってみたいよ。
みんなも心のなかに他者性を持ってますか?