2/26の日記

wostok
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がん検診に行った。

2週間くらい前から明らかに右胸が腫れており、いやさすがに左右差ありすぎちゃう?こわ!となり、うーん、しばらく乳がん検診してないしなー最後にしたの5年前かーうーんまぁ行くかなぁという感じで検診に行くことにした。心配性なので気にしすぎかなと思って身近な人にも確認したんだけど、やっぱり左右差が結構あるねとなって、それも検査の決め手になった。

朝イチの診察で病院に行き、問診票に記入。「近親者で乳がんになった人はいますか?」「はいはいいますよっと」と軽やかに記入。すぐに診察室に通されて目の前の椅子。先生との対話で少し萎縮。

「お母さんが乳がんなんですか?」

「そうなんです、それでなんか亡くなったらしくて」

「そうですか、おいくつの時に?」

「ちょうどわたしの今年なる年齢と同じらしくて、それで心配なんですよね」

「そうですか、他にお身内で癌の方は?」

「なんか母方の祖父?が大腸?癌とか胃?癌とかで亡くなったらしいんですけど、断絶しちゃってるんでよく分からんです」

「そうですか」

そうなんです。いい加減なもんだなーと思う。自分の親のことだけど、当時の病気の様子はいまだによく分からないし、祖父がなぜ亡くなったのかもさだかでない。なんとなく聞いたけど、覚えていない。父方の歪曲された歴史記憶だけが頼りなので、史料批判をしようにも無理がある。史料批判は他の史料があってこそなし得ることなのだ。自分のことなのに何もわからない。スロヴァキアの社会主義ナショナリストのことを考えている場合ではないかもしれない。祖父の死因の方がもっと身近でもっと大切なのに。

とりあえず触診があって、マンモグラフィーをうけにいく。マンモグラフィーは人生ではじめて。わくわく。この年齢になるとはじめてのことは減っていきますからね。

「胸を挟みますから、耐えられない痛みがあるときは教えてください」

耐えられない痛み。どの程度のことなんだろう。耐えられない痛みは人生で2度あったかな。1度目は階段の上、死闘。2度目は舌の上、自分で選んだピアス。

「この胸の飾りってピアスですかね?とれますか?」

ぼけっとしていると、看護師さんから声をかけられる。これね、シリコンが体内にうまっており、その両端に金属片がついているタイプなんですよ。体内に金属を通すよりは良さそうではないでしょうか。とれるのかな。とれても戻せるのかな。

「よく分からなくて原理原則上はいいはずなんですけど、とったことなくて、鏡とかあればなんとか…」

などと口ごもっていると、「いやもうええです」となった。

「こういうのあるんですね」

と看護師さんが言う。こちらは上半身裸でひらひらしたスカートだけ履いていて、フラダンスのなり損ないみたいな間抜けなかっこうをして意識は半分寝ている。

「こういうのもあるらしいですね、よく分からんですが」

などと返すと、看護師さんが苦笑したように見える。メガネもコンタクトもないので、実は笑ってないかもしれない。でも笑っていてほしい。自分の身体に刺さってるのが何かもよくわからない人間の間抜けさ、上裸でふらふらどうにか立っている人間のおかしさ、笑われなければ救われない。

ピアスのせいで胸を機械に挟むのが難しくて、ごめんなさい、となる。多分いつか本当に病気になったらこのピアスとはおさらばだろうな。マジョリティというのは気にしなくていいということだから、ピアスもそういった例のうちの1つかもしれない。

ちなみにマンモグラフィーは全然痛くなかった。ピアスに比べれば、羽毛で撫でられれているようなもの。下手な愛撫のほうがよほど痛い。あるいはあの時の下手な愛撫がわたしを強くしたのかもしれない。そしてわたしも誰かを強くしたのかもしれない。

つぎにエコーの診察に呼ばれ、ゼリーを胸に塗りたくられる。以前検診を受けた病院で塗られたゼリーは、冷たくて優しくなかった。ここのゼリーは温かくて嬉しい。女性のお医者さんだからかな、前の病院は男性だし、と思う。そしてすぐに、いや、今この処置をしているのは女性の看護師さんで、前の病院でもこの処置をしたのは女性の看護師さんだったなと思い返す。そもそも男女に気遣いの優位の差はなかろう。ゼリーが肌に触れて冷たいことなど、誰だって気付くものだ。あるいは誰だって気付かないものだ。こういう気遣いって面倒だけど、あるといいなと思う。

エコーを見ていると、むねに黒い塊がいる。えっなんかおるやん。看護師さんも写真を撮ってマーキングしている。いやいや、おるやん…。そわそわ、ひやひや、じっと見つめていると、先ほどの先生が来て、「多分これは良性のポリープですね、あるいは水」と言う。ポリープなるものがあるのは知っていたけど、わたしの身体にもあったのだな。なんの可愛げもない、ぼやんとした黒塊。どうぞよろしく。これから困ったらあなたに話しかけるわね、などと思う。

検査が終わり、しばらくして呼ばれ、異常なしと言われる。ポリープは基本問題ないけど、年一で検査などすると良いとのことだった。

マンモグラフィーで撮ったレントゲンの写真を見せてもらう。

「この白いのは石灰です。こうやって一つだけあるのは正常でなんの問題もないですよ。ただ、ほらこれ、この写真みたいに小さいのがいくつも集まっていると、これが癌なんです、白っぽくうつります」

乳がんの症例の写真集を見せてもらう。

「お母様はいつ頃乳がんになられたんですか?」

「分からないですけど、わたしを妊娠している時って聞きました。妊娠中で癌って気付かなかったらしくて。」

「そうですか。この方、この方も妊娠中に癌になって、その後に気付いた方ですよ。その後、別の胸に転移されて」

真っ白になった胸のレントゲン写真を見せてもらう。母と同じ。この人の胸は母の胸と同じなのか。母はわたしを産んですぐ他界してしまったので、本当に何も覚えていなくて、顔すら、写真を他人事のように見るだけだった。その母と同じ症例(なのかは正確には分からないけど)の写真をいま見ている。このなんてことなさそうな小さなつぶつぶが、わたしたちの人生を変えてしまった。なんと無力なのだろう。何をなしえたとて、こんな小さな感情のない集合体に体を乗っ取られ、おしまいになってしまうのか。何かをなすことに、どれほどの意味があるのだろう。

ふらふらと病院を出る。そのまま、吸い込まれるように中華街の朝食を食べる。

店の中の日本人はわたしだけ。間違って揚げピーナッツなんて頼んでしまって、こんなひよったピーナッツ食べてるのもわたしだけ。みんな油条食べてる。

北京で朝ごはんを食べた記憶はないけど、北京で迷い込んだムスリム街の出店と雰囲気が似ている。東京の喧騒とは違う雑多な情報が店の中に渦巻いている。古ぼけた時計が10時の時をお知らせしてくれる。

ひよったスープを飲んで、お店を出て、数十歩歩いてから、ここは日本なんだなと再確認する。ほんの数十分前に母の死を悼んでいたのに、それは遠く後景にしりぞいてしまった。大陸のおおらかさに包まれ、まぁ人は死ぬし、何も分からないけど、もうすぐ母より長生きするってことが分かっていればそれでいいよな、と思う。人生ほんとどうにもならないですからね。どひゃ〜。

その後さらに「メルカド」に吸い込まれ、気付けば大量のスパイスを買っていた。すべては「メルカド」を見下ろす日蓮上人の思い通りなのか。

朝ごはんを食べた店の時計の音が聞こえた気がする。帰ろう。1日を始めなければ。本当は始めるのではなく、母が死ぬ直前まで時が戻ればいいと思う。さっきいた店にみなぎっていた異国の雰囲気に、いつか異界の魔力が加わって、何かしらの上人のパワーで時計の音が街に響き渡ったらいいのに。そうしたら、ここにいるすべての人が好きなところに帰れるのにな。時計の音で何かが始まるのって、よくあるじゃないですか。でもやっぱりそうはいかないので、寝起きの「メルカド」を後にして、陽の光の下を歩いて帰った。

@wostok
日記を書いてます。