いま朝の3時で、準備のために音楽評論を読んでいて、まじで単語が分かんないなと思って困っているところ。
Kapelník, bicí, ouvertura, akord, repríze, varhany, pochod...
全部初めて見るよ...クラシック音楽が分からない野蛮人でどうもすみません。じゃあテクノミュージック評論だったら読めるのかと言われると、どうだろう。機材のこと分かんないから無理だろうな。
スメタナ、ハイドンをここ数日聴いていて、さすがに飽きてきて、ドビュッシーに逃げ、そこから坂本龍一を聴いているんだけど、ノスタルジーが増して良くないね。この時間の坂本龍一は、メランコリーとノスタルジーで撫でてくる。この世界にいるのは自分1人のような気がする。
彼が生きている時に、もっと聴いておけば良かった。悲しい。
洗濯物を干していたら、年末の情念渦巻く人間関係のことが思い出され、げっそりしてしまう。
いや、おかしいやろがーい、という弱々しいつっこみが瀬戸内の海に消えていったことはあまりにも有名。
夏に出会った女の子たちと電話をする。
いま会えたらいいのに、第三次世界大戦が始まる前に会えるのか?という感じだった。
いま会えて、抱きしめられたらいいのに。
出会った瞬間に互いに共通するものを感じとり、3人でそっと寄り添い、あたためあっていた。夏のあの日に。帰れたらいいのに。あの夏の日。お互いの顔を見て微笑んだあのとき。
お互いの身体をあたためられればいいのに。あまりに遠くへ帰ってきてしまった。
アルゼンチンの大統領が中絶反対していることを知る。女のわたしたち。
ブリュッセルから電話があって、書類作成をとのことだった。まだできてなかった。
もうなにも考えたくない。