朝から用事を済ませて、阿佐ヶ谷の書楽に立ち寄る。『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』のなかに出てきた本屋さん。書楽は、この本を譲ってくれた素敵なフォロワーさんが好きな本屋さんだ。わたしは初めて行く。むかし、よく阿佐ヶ谷で降りていたのにな。反対側にスタスタ歩いていってしまった。あの頃のわたしのアンテナは地中に埋まっていたのだろう。今は少し生えているのでまぁいいか。
すごくいい本屋さんだった。学術書、趣味書、漫画、文学、バランスよく揃っていた。素晴らしいことだ。むかし家から近かった本屋さんのことを思い出す。あそこは百田尚樹だけが全てだった。百田尚樹を好きな人がいたらごめんなさい。でもいくらその作家さんが素晴らしくとも、モノ陳列(モノカルチャー的なね)ってあんまり好きではないんだ。だから、バランス良い中規模の書店に入れたことが嬉しく、店内をフラフラしていた。
イーグルトンの『文化と神の死』が目に入る。読むか。ポストモダンの神の死を見届けよう。読めるだろうか。でも読んでみたら面白いんじゃないかと思う。噂のカッコいい黒いカバーをかけてもらう。
次はヤンヤンに向かって歩き始める。阿佐ヶ谷から、陽光を浴びて。知らない道を歩いて。わたしは阿佐ヶ谷の何を見ていたんだろう。通ったことのない楽しそうな通りがたくさんある。世界は内に向かって開かれている。小さな細い路地が地中へ細く帰っていく。それと一緒に世界が広がる。見えないことは残酷だな。前のわたしはこの内向きな世界にピントを合わせられなくて、地表を足早に歩いているだけだった。
ヤンヤンは、今日行く予定の本屋をマップにピンするときにピンした。どこで知ったんだろう。『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』で知った気がしていたけど、2ヶ月ほど前にできた新しい本屋さんらしいから、きっと違うな。どこかで聞いたと思ったんだけど。
細い急な階段がポッカリ口を開けて、舌を道路の方へのばしている。バリアフルな階段をそっとのぼる。とても小さくて、コンセプトを緻密に設計したうえで、あえてゆるめたような、そういう本屋さんだった。
このお店はあるZINEを買いたくて、そうだ!その買いたいZINEの販売店がこのヤンヤンさんだった!そこで知ったんだ!だから来ました。入店するとすぐ目当てのZINEが見つかる。せっかくだしもう少し見ていこうかなと本棚を見る。
『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』が左のはじの方に鎮座している。立派だね。とても素晴らしい本だった。あの本のおかげでわたしは今こうやって日記を書いている。ものすごい影響力だ。そのならびには、たしか上野千鶴子。記憶違いかも。でも千鶴子はいたはず。マルクス主義フェミニズムと家事労働という概念は、わたしにとってすごく大切な要素だったから、千鶴子を見かけるたびに、かっこいいなぁと思っている。さまざまな批判を受けている人でもあるけど、やっぱり、ある一面では純粋にかっこいい。
棚を右へ左へ眺めていると、ペソアがいる。2冊。新年、祖母が逝去した時に連絡を取り合っていたキューバの人を思い出す。わたしはこの人に、自作の詩を見せたことがあった。「なぜこれを書いたんだ?」と聞かれたので、「怒っていて憎いから」と答えたら、「じゃあペソア読みな」と言われた。そこからペソアを読んでいる。
ペソアは、怒っていて憎んでいるわたしの心にすっと入ってきた。そして読み終わると寂しさ、悲しさが増し、気付くと怒りは消え去っている。鎮静剤のようだなと思う。その人は、わたしが愛用しているペソアポーチ(さまざまなペソアがプリントされているポーチ、みんなも見たことあるはず)に書かれている詩を朗読して、ボイスメッセージで送ってくれた。新年の夜だ。
さらに眺めていると、マティスとボナールの書簡があった。ボナールという画家が好きで、一時期待ち受けにしていたこともある。何が好きかは分からない。彼の描く女は影があり、光が差しているのに暗い。その一見した矛盾に惹かれるのかもしれない。その近くには、ツヴァイクの『昨日の世界』があった。これは燦然ときらめく友人が渡してくれたきらめきの一欠片だ。当時異国にいたわたしは、ある種の望郷の念にとらわれており、亡命したツヴァイクの暗さにすっかりやられてしまった。ホットチョコレートを飲みながらこの本を読了した時、あまりの救いのなさに立てなくなってしまって、ただ俯いてじっと座っていた記憶がある。
そのすぐうえには『夫婦間における愛の適温』がいる。スーザン・ソンタグとサイードは堂々とこちらに背を向けている。サイード読みなよとこの前言われたから、やたらとサイードが目につく。ソンタグも、一度使わせてもらったな。自分の言葉に箔をつけるためにソンタグを引っ張ってきた。嫌な使い方をしてしまったと反省している。
目当てだったZINEを買って、蟹BOOKSをのぞいてメーヴェさんに行く。マスターがエチオピアのアナエロをいれてくれる。発酵系の主張が強いコーヒーが好きだ。どっひゃー!!!なんだこれ!!!!になりたい。コーヒーをいれると、コーヒーができる。そして人はコーヒーを飲むことができる。わたしはパソコンの画面を見て、何年も前に書いた文章の細かい誤りを訂正していく。でもそうしたって、この文章全てが日の目を見ることはない。こんなことして何になるんだろう。「あんたが始めたことなんやから、最後までやりなさい」、亡くなった祖母の声が聞こえる。彼女にも美味しいコーヒーをいれてあげられたら良かったのに。この願いはもう届かないので、わたしだけがコーヒーを飲み店を出た。