12/28の日記ー京都編ー

wostok
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京都に行くか!となった。

友達が誘ってくれて、別の人も行くことになって、まぁ泊まるか!という感じで、京都に行った。

中欧の大先輩が京都にいるので、会えたらいいな〜と思って連絡する。残念ながらこの日は京都にいないらしい。悲しい。仕方ないので、先輩につれていってもらった円町のカフェに行く。

最近気付いたけど、思い出に別の思い出を上書きして、記憶を書き足していくのが好きらしい。先輩と中欧の友人たちとの記憶に、新しい記憶を足した。いいね!

なおそのカフェではパフェを食べました。円町のええ感じのカフェ。探しておくれやす。

タクシーに乗って宿に行く。なぜなら交通の便が絶妙に悪いのと、わたしがスーツケースにしこたま本を詰め込んだせいで、めちゃくちゃに重くて辛かったからである。タクシーにスーツケースを縦にして載せると、「それ、横に倒させて」と運転手が言う。京都では、モノは意志を持った主体になるのだろうか。「犬がご飯食べてはる」と同じものを感じる。ぴかぴかのラテは、「ラテがぴかぴかしてはる」なのか?「ミルクをフォームさせて」とか。でも「ミルクをフォームさせて」とは一般的な用法であるな...。モノはいつ意志を失うのだろ。

宿に行って、トコジラミがいないか隅々まで確認して、食事処で湯葉を食べ、銭湯に行く。はじめて「とゆ湯葉」というものを食べて、めっちゃおいしくて、びっくりしてしまった。湯葉を運んできてくれるご婦人から「お嬢ちゃん」と言われる。何歳に思われているんだろう。ご婦人は、「外人のオネーチャンなんか大きいお尻ボーンしてフリフリ歩いてはるからびっくりしてまうわぁ!」と楽しそうに話している。京都の人が婉曲的というのは嘘なんじゃないか。建仁寺で会った性格が複雑に絡みあい取り返しがつかないことになったご婦人も、非常に直接的であった。わたしたちは京都の共同幻想を見ていたんじゃないのか。

歩きながら、良い街だなと思う。わたしはこの街で生まれたんだけど、生まれてすぐに引越してしまったらしい。運命のいたずらがなければ、父母と共に京都の下京区でぬくぬく暮らして、京都から外に出ない人間になっていた可能性もあっただろう。わたしが歩いている道は、父と母が手を繋ぎ歩いた道かもしれない。そう思うと、少し悲しかった。その日々が続かなかったこと、愛おしい日々が突然に終わってしまったこと、それを覚えていないことなどが。

でも、父と母が出会い自分が生まれた街を、わたしは東京で出会った人とのしのし歩いているので、何かしらは継承されている気がするな。悲しいけれど、悲しんでいても仕方がない。楽しいからいいのだ。わたしは音楽を聴きながら歩いていて、一緒に歩いていた人の耳にイヤホンを突っ込もうとしたら、「静かに歩きたい」と怒られてしまった。音楽を止めると、街はびっくりするほど静かだった。一緒にあるいていた人はいつも正しい。あの静けさを、思い出しながらいまこれを書いている。

そうこうしているうちに、宿に戻り、くたびれたパジャマに着替え、トコジラミを恐れながら本を読むなどしていると、友人が東京から到着した。おつかれ!大変なことである。

友人は霧の豆を持っていて、わたしはACIDの豆を持っていた。霧の読み方を知らなかったので、「それは、なんであるかな」のようなことを言うと、嘘の答えが返ってくる。昨日までその嘘を信じていた。大変なことである。

その後、寝た。正確には、寝る努力をした。上の階の人が暴れている。寝た方がいいよ。踊るならすぐそばの鴨川でやっておくれ。明日はコーヒーを飲みに行こう。

@wostok
日記を書いてます。