時間が溶ける感覚

きぬごし
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久しぶりにインターネットに夢中になって時間が溶ける感覚を味わった。なにかと言うと、しずかなインターネットだ。

スマホ片手に気づいたら長時間経ってしまっていた、ということはもちろんよくある。でもそういう時は大抵SNSを目的なく徘徊していたり、スマホゲームをやることも特にないくせにいじっていたり、自動的に配信されるニュースや記事を受動的に眺めたり、Kindle Unlimitedで表示される漫画を惰性でダウンロードしていたりと、時間がだらだら無駄に過ぎていくという感じで、後ろめたさのようなものが纏わりついてとにかくすっきりしない。

昔は違った。昔というのはもっと真剣にオタクをしていた時のことで、インターネット老人会の全盛期の頃だ。インターネットは好きなもので溢れていて、二次創作を探すので1日24時間じゃ全然足りなかった。サーチエンジンを辿って好きな作風のサイトを見つけたらそのサイトの作品を全部見て、(当然裏ページがあればあらゆる手を駆使して探して)、ブログを読んで作者の人となりを想像して、サイトをくまなく堪能したら、作者がブックマークに貼っているサイトを絨毯爆撃して、またその作者に似た作風をもつサイト、あるいはその作者が好きな、高確率で自分も好みの可能性のあるサイトを見つけて飛んでいく。そんなことをしている間に個人サイトも作品も日々増えていくので毎日探しても全然周りきることができなくて、にも関わらず自分でかきたい欲も出てきて手が回らない。とにかく忙しかった。目の前にあるのはパソコンの画面だけなのに、それを通じて世界が広がっていく感覚。

しかし環境の変化などなど種々の理由でオタクの時間が減り、ふと気づいたらいつの間にか個人サイトが衰退していた。時折本来の自分(オタク)に戻ることはあったが、個人サイトの代わりに台頭したピクシブ文化やXでの作品投稿に馴染めず、残念ながら波に乗り切れなかった。きっと今も世界のどこかで自分が心奪われる作品がいくつも生まれているだろうに、そこに辿り着けないもどかしさがあった。老化といえばそれまでだが、ちゃんと続けている人も多い以上、年だけのせいにするのは甘えのような気がする。

別の原因があるとすれば趣味嗜好の変化かもしれなくて、ここ数年は創作の世界よりもエッセイやvlogを読んだり見たりの割合の方が増えた。本や漫画になって売られているものだけではなく、一般人の生活を覗き見たい時、必然的にSNSに足を踏み入れることになるけれども、そこは広告や虚偽や諍いやマネタイズで溢れ返っている。それはそれで面白く、楽しむ方法は5点ラジオで習得したけれど、自衛センサーが働くというか、別のエネルギーが必要になるので没頭するのはなかなか難しい。

そんな中しずかなインターネットが始まった。しずかなインターネットはしずかですごくいい。雑音がない。そもそも大好きな文章を書く知人友人がいてくれるし、顔を知らない人でも好きな文章にあたる確率が高い。しかし好きな作風の人をとりあえず一人見つけて、そこからブックマークを使って芋づる式に好きな人を探すという古の手法から離れられない自分としては、フォロー機能のないここでは新しい日記を見つけるのに少々手こずってしまう。しばらくはスポンサーの方々の日記を読んで楽しんでいたのだけど、その中でブルースカイでフィードをフォローするという方法を知った。それでブルースカイのアカウントを作って、フィードに出てくる日記を辿って行ったら、久々に時間が溶けた、という、冒頭の状態になったわけだった。アドレナリンが(多分)ブワーーーと出た。疲れて、心地よかった。

@wry156
食べ物、お酒、山、夢の日記