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wsbkrb
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としまえん跡地のハリーポッタースタジオツアーに行きました。

原作者のJKRのトランスヘイトは長らく問題視されており、私もJKRが主体的に取っているその立場は容認できない人間です。トランス差別に反対します。

しかし原作者であるJKRを無視もしくはキャンセルしてハリーポッターシリーズを楽しむ、消費することにもまた抵抗感があり、映画やドラマ、ゲーム、他のメディア展開も含めてハリーポッターシリーズに対して触れること自体少なくなっていきました。

そのため今回施設に行くことになったとき、自分のハリーポッターシリーズに対する様々な思いやJKRに対する感情が複雑に混じり合い分離し訳が分からなくなるのではないかと不安でした。

実際、訳が分からなくなったのは、スタジオツアーの序盤とスーベニアショップ内だけでした。スタジオツアーの序盤にJKRが観客に対して作品を代表して挨拶するところを見たとき、どうしてただ無邪気にこの素晴らしい世界を生み出した人物を讃えることができないのだろうと悔しく、スーベニアショップで魅力的なグッズを見かけてはそれを持ち歩いたり利用する自分を想像して、不特定多数に見られる場面での他者からの視線、私が無邪気にそれを使用することで他者が不安になったり傷つく可能性と、そしてどうしても現在のJKRの立場を想起せずにはいられない自分が傷つくことを考えて落ち込み、何も購入できませんでした。

(JKRのヘイト発言が周知されている今、ハリーポッターシリーズを楽しんでいる人や仕事として取り組んでいる人、そしてハリーポッターシリーズに関する新たなプロジェクトが立ち上がることを否定することはしません 各々の考えがあって──例えばJKRのヘイト発言を問題視していないからだったり、そもそも知らなかったり、器用に感情や考えを両立させていたり、抗議的な立場を取りながら離れられなかったり──現状があると思っています 一筋縄ではいかないことだし、私自身確かに言えないからこそ、言い訳じみたことをこんなに書き連ねているわけです)

さて、肝心のスタジオツアーの感想ですが、同行していた家族には何も伝えず、ひとりで不安な気持ちを抱えたまま豊島園駅に降りた私は、すぐ目に入ったロンドンらしい真っ赤な公衆電話を模したオブジェをはじめとして、全体的に赤く塗装された構内や構内にある小さいホグワーツ特急のオブジェなどを目にした瞬間に気持ちが高揚していくのを感じました(セブンティーンアイスの自販機すら赤いのが面白かったです)。駅を降りてすぐ青い雌鹿と牡鹿のオブジェに迎えられて自分の高揚を完全に認めざるを得ませんでした。

愚かなことに私は施設の規模は大したことはないのだろうと思っていました。大々的な宣伝に反してなんとなく2013年に森ビルで開催されたハリーポッター展ぐらいの感じなのだと足を運びましたが、実際は休憩を入れながらもやや駆け足気味に回っても6時間かかりました。施設内の体験スポットもほとんどスルーしましたが、それらをどれも逃さず、展示もじっくりと見ていたら恐らく開園から閉園までいられるぐらいボリューミーでした。

ハリーポッターシリーズの原作と映画とでは全く違いますが、やはり切っても切り離せないほど2つは密接だと思いま。 実際に使われたセットや小道具、衣装などに囲まれながら歩き回り、「懐かしいなあ」と声に思わず出たときの自分のまるでホグワーツの卒業生のような口ぶりに自分で笑ってしまいました。

本が読めるようになるよりも先に映画を見ていたので、本を読むときは映画の舞台が読書の手助けをしてくれていたのだと思いますが、やはり原作からインスピレーションを受け、更に原作者のフィードバックを基にこの世界観を1から作り上げた人々の凄さ、そしてそれを生み出し書き上げたJKRの凄さを改めて一度に一身に浴びて、11歳の誕生日から8月末にかけてほとんど毎日のように自宅のポストを覗いていたし、何ならしばらくは編入の可能性も感じていて、現実とフィクションの隔たりを理解しているはずなのに密かに夢を持ち続けていたことを思い出しました。

私のフィクションを楽しむ基礎も、フィクションが現実に与える影響の大きさも、展開やキャラクターや何ならカップリングの好みも、ほとんどハリーポッターシリーズによって築かれたのではないかと特に子ども向け作品を見るようになってからときおり過ぎることも思い起こされました。現在ハリーポッターシリーズへの言及をなるべく避けているため好意的に比較として出すことはできていませんが。

杖を振り回したり(10年前に購入したハリーの杖)、実際に9と3/4番線に向かってカートを押したり、空飛ぶ車やハグリッドのバイクに乗ってふざけた記念撮影をしたり、体験としても楽しかったし、家族との会話も途切れることなく共通の話題としての頼もしさも感じました。

退園した後も魔法は解けてない心地というか、そもそも今までもこれからもずっとかかりっぱなしなのだと思います。

ハリーポッターシリーズそのものの力強さと自分に密接している力強さに久しぶりに触れて、しばらく意図的に避けていたにも関わらず、自然と「再読したいな」「最初から観たいな」という気持ちが湧き上がってきました。

しかし今の自分があのハードカバーやDVDに触れる想像はできないままです。まだハリーポッターシリーズには積極的に触れることはできないかもしれません(却ってぶり返すこともあるかもしれませんが)

それでも自分にとってハリーポッターシリーズは今でも大切な物語であることは確かです。確かであることが嬉しいし、嬉しいから悲しいし、やっぱり混乱してるけれど、うん、楽しかったです。ハリーポッターシリーズが好きな人は欲張りだからあれもない!これもない!となるかもしれませんが、それは、我慢なさい。

私はハリーポッターシリーズが大好きで、ハリーポッターシリーズの原作者であるJKRに感謝しています。それとトランス差別に反対すること、JKRの発言を容認しないことは両立できると思います。私は上手くできないので作品やファンダムとは距離を置くという……卑怯なやつかもしれません……。

スタジオツアーに行ったことも、行ったことを言わないでいるのも違う気がして、それでもエクスキューズ無しに言及することはできなくて、だけどエックスという訳の分からん場所で立場を交えながら言うことも憚られて、ここに記入しました。