日記とか批評とか

wtnbt
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あと一ヶ月で75枚書かなくてはならない厳しすぎる日程になってしまった。どうしてこうなったのか。いやまあ能力が足りていないからなのだが。ところで、基本こういうくだらないことばかり書いていくことになるのだが、いいのだろうか。まあいいんじゃないでしょうか。

もっとも、ここで日記を書くつもりはない。仕様から考えてももう少し長い文章を書きたい。日記といえば、私は日記を19歳からずっと書いているが(今も公開していないだけで書いている)、昔の帳面をなくしてしまったりウェブ日記を保存せず削除しちゃったりしたので記録的な意味が全然ない。なんというか記憶や物を取っておく欲望がない。ただとりとめもなく思ったことを軽はずみに書きたい。

そういえば、知り合いの批評家が、物書きにとって一番辛いのは無反応で、悪口であっても何か反応があるほうが嬉しいものだと書いていて、それはちょっと疑問だなと思った。人は他人の文章を読んでいてもそれはどこかモノローグに似て、自分の読みたいようにしか読まないし読めないのではないかと思う。私は私の文章を私の関心に(のみ)したがって書くので、私の関心の外からその文章へのレスポンスを与えられてもあまり嬉しくない、というかそれは望んでいないということが多々あるのではないか、という気がする。もちろんそれは読んでほしいように読めとかこちらの意図を汲んで読めという話ではなくて、結局はそこで関心の中心にあるものを共有することに「読む」ことの理想を感じているからかもしれない。その意味では「私/あなた」という関係性にあまり関心がない。物を書くこと・読むこととコミュニケーションは本質的に関係がないのではないかという確信が私にはずっとあるのだ。

批評は、人間関係の延長上で行われてもつまらない。

もちろん、その関心あるいは文章そのものに関して、私にとって本質的と感じられる指摘があればそれが自分の本来の動機から離れたものであってもすごく興奮するし嬉しいだろうが、まあそういうことはほとんど望むべくもないというかだからこそひとりごとでなく公開で「書く」のだが、しかしそれはもっと微かな、投壜通信的な希望であってごく普通の意味での交流を期待するものではない。ほとんどの場合、誰かの文章に付けられた感想や批評が教えてくれるのはその人の関心であってだからその人に関心があれば面白いがもともとの文章と大して関係がない場合がほとんどだろう。

孤独なものだ。