私自身がまさに「目的がないと雑談できない人」であり、はぇ~なるほどな~と思いました。この視点で考えたことはなかったけど、一理ありますね。まとめが非常に端的でわかりやすい。
目的がないと雑談できない人は、情緒的な絆を基盤とする信頼ではなく、能力や貢献に基づく信頼を重視している
自分に対しても同じように評価しているので、自分が「役に立たない」という認識に耐えられずに老害になるのでは?
老害云々はまあともかく、「情緒的な絆を基盤とする信頼ではなく、能力や貢献に基づく信頼を重視している」は私自身においても思いっきり該当するように思われる。自分の場合はこの記事でいわれる「認知的信頼(=相手の有能さや責任感などの特性に関する認知に基づく信頼)」がまず先にあって、それが継続して初めて「情緒的信頼(=情緒的な絆を基盤とする信頼)」に転化するような実感がある。
対応策については、そもそも認知特性の話なので難しいところがある。アイデア2「老後はChatGPTと話す」はヤバいというか、生身の人間としゃべりながら自分の感覚をキャリブレーションしていく方が健全なような気はします。他人の役に立とうとすること自体は悪いことではないし、自分が役に立てるフィールドをその都度探せばいいんじゃ?と思わないではない。自分がお役御免になったコミュニティに無理に居座ると確かに良くないのかもしれないが、これは一般的な「老害」問題の回避策そのものかも。