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この記事は Otaku Social(おたそ~)Advent Calendar 2023
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私が詩や短歌を精力的に読みはじめたのはここ2,3年のことで、いわゆるニワカというやつだ。でも見つけた。後生大事にしたい、これは私の宝物だと胸を張って言える歌集を。
藤宮若菜『まばたきで消えていく』。これは自己救済の短歌たち。
そもそも言葉というのは、誰かに何かを伝えるために生まれたものだ。仕事の中で、祭りの中で、ダンスと共に成長したなんて学説もあるけどそれはまた今度。
つまり、世の中のほとんどの言葉には、発信者の意図や意思が込められている。
ただし、それらの言葉は全てが辞書通りの意味で使われるわけではない。もちろん社会あるいは公的な場では辞書的な(表面的な)意味の言葉が流通している。多くの人に伝えるための、ありふれた言葉だ。
しかし、こと私的な場ではそうとは限らない。
私的な場での言葉の利用について考えてみよう。例としてあげるなら、親しい人にしか伝わらない挨拶とかが想像しやすいと思う。スラングや新語流行語も同じだ。ワロタが笑っていますという意味であることを知る人は少なかった。蛙化現象という言葉も、きっと親しい誰かに特定のシチュエーションを伝えるために作った言葉だろう。
そういった私的な言葉の意味を理解するには、我々は発信者に寄り添う必要がある。
そして、詩や短歌はその最たるものだと思う。自分が理解できなかっただけで厨二だ電波だ怪文書だと烙印を押すのは間違っている。私には二宮飛鳥や浅倉透の言いたいことがわかる。どのような過程でその表現に至ったかすら想像がつく。短歌を読むということは、そういう態度で表現に、著者に思いを馳せるということである。
難しいことじゃない。子どもに何かを教えるように、あるいは高名な先生のお話を伺うように、相手の意図を探りに行くだけだ。
さて、ここからようやく本についての話をする。
すごい本を見つけたんだ。ずっと誰かに話したかった。藤宮若菜は『まばたきで消えていく』。こんなに人の心のやわらかなところまで触れられる本はないぞ。
とにかく読んでほしい。読み方を規定したくもないので、本音を言えばこの記事を読む前に読んでほしい。電書もある。以降には内容の致命的なネタバレも含む。
オタクの好きなものといえば伏線回収だが、この本は巻頭歌の一首に全てが集約する。収録された160首の短歌も、解説も、後書きも、全てがだ。
寝転んであなたと話す夢をみた 夏で畳で夕暮れだった
この一見何ともない25文字の短歌がどれほど切実なものなのかは、本を読めばわかる。……あるいはこの記事を読めばその片鱗に触れられるかもしれない。気になった? ならまず読んできてくれ、頼むから。
セールスはここまで。あとはネタバレと自分の読みや推察全開でいくよ。
この本の主たる特徴は、ちいとも読者の方を見ちゃあいないことだと思う。含まれる要素は、著者と、友人の女性と、その思い出。それだけだ。それだけだが、だからこそ伝わることもある。切実さとか。
試し読みの部分からいくらか引いてみる。
互いには満たしあえない空白としてぼんやりと浮かぶ子宮よ
ふくらかな向日葵のくき手折りつつきみが子供を産む日を思う
これは異性のための表情(待って)(もう行こうよ)(わたしたちでいたいよ)
3首しか引いてないけど、序盤の内容を代表する3首だと思う。
ここからわかるのは詠み手が女性であること、友人が女性であること、詠み手が友情以上の感情を抱いているようであることだ。
百合豚乙とか思われるかもしれないけど、これだけじゃない。自分が女性に生まれたことを悔いるようなニュアンスの歌が上記の他にもたくさんあるんだ。
どうせまた公衆便所の片隅に詰め込むだけの血肉の残骸
「戦闘機に乗って死んだりしないから若菜が女の子でよかった。」
でもまぁ、そこに恋愛が絡むか否かは置いておくとして、友人に対してことさら好ましく思っていたことは事実だろう。それを踏まえて読み進めると、急展開が起こる。
環七の事故渋滞の道端の誘導灯の淡い廻天
ぶっ殺すってグミたべて思う 伝えたいことがひとつもなくなった日に
生きる側の人間になる 夕暮れに長く使えるお鍋をえらぶ
ここだ、ターニングポイント。友人が亡くなってしまったようだ。この喪失の悲しみによる自暴自棄な歌がこの後に続くが、その章タイトルは「ハローワールド」。君がいない世界との邂逅。
大きくなったら頭のいい人になりたいな スト缶飲んで眠るベランダ
酒飲んで街路樹に頭突っ込んでわたしはわたしになれるだろうか
自殺防止の広告は漢字だらけで、いいなこどもが自殺しないとおもっているようなひとたちは
最後の歌の字余りから溢れる気迫がすごい。もうこの辺りは解説とかなしに読んでほしい。
ここまでの内容が半分だ。まだ倍以上残っている。濃すぎる! 感情が濃すぎる!!
自暴自棄な期間が終わると、君がいない世界でそれでも生きていかないといけない現実と向き合うことになる。それからの歌はことさらに読者が疎外され、著者とその友人の思い出話が広がる。日常に残る彼女の面影を追うのを見守ることになる。
読者置いてけぼりのまま進むのに、それでも何かが伝わるのがこの本のすごいところで、どこまでも個人的な内容をうたうからこそ、むしろ情景がはっきりと浮かび上がってくる。見たことのない景色を見ることができる。
本の後半の歌たちについては、言うまでもない。愛に満ちた、あるいは死に漸近した美しく儚げな歌で溢れている。何ページが読み進めるだけで涙が手できて呻いてしまう。読む手が止まる。
「君がいない世界」の歌たちがこの本の半分以上を占める。どれも切実で、死に近く、愛に溢れている。見えちゃうんですよね、日常の端々で、面影が。
あえてここでは歌を引かない。気になる人は買って読んでね。
きっとこの本には、私がいつの日か忘れてしまったきらきらとした何かを思い出すための手がかりがあると思う。何度読んでも飽きない本です。
ぜひ読んで、感想を教えてください。あるいは私の好きそうな歌集を教えてください。
ここから先は読まなくてもいい。短歌鑑賞。
汚物入れに群がっている蠅蠅よ聞いてわたしも人が好きだよ
この歌は私がこの本に惚れた理由のひとつ。この歌の前後で生理の話が何度か出ているので、シチュエーション的には公衆便所等だろう。そんな場所で蠅に対して話しかけている。つまり、この「好き」は人には打ち明けられない、ひとりで漏らすしかない切実なものなのだろう。蠅が群がっている対象と「わたしも」という表現から考えると、その対象は女性なのだろうと思う。
「人が好きだよ」の人とは、きっと友人のことだ。
うろこ雲 だんだん落ちていく視力 大丈夫、ずっと生きていようね
うろこ雲は秋の空に見られるもので、事故があったのが夏ごろ。つまり、友人亡き後の歌だろう。「だんだん落ちていく視力」とは……おそらく、思い出せなくなっているのだ。友人がいた日々を、表情を、声を、足音を。忘れたくないのに忘れてしまうことを、視力が落ちたと表現しているのではないかと思う。それこそ『まばたきで消えていく』なんだ。
だから、下の句がぶっ刺さる。「大丈夫、ずっと生きていようね」。友人が生きていた頃の思い出を忘れないからね、という強い決意の歌だ。
この本には、こんな歌がゴロゴロしている。どのページを読んでも祈るように詠まれた歌ばかりだ。
そして、著者はあとがきでこう語る。「短歌とは、失ったすべてのものにもう一度会うための場所でした。」と。
それを踏まえてね、最後にもう一度だけ冒頭歌を引くから、読んで。
寝転んであなたと話す夢をみた 夏で畳で夕暮れだった