みんな思ったよりなんとなく生きてる

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 トラウマがある。公園の噴水で遊ぶことになった時、親に野外で着替えさせられたことだ。「どうせ誰も見てないんだから」と促されたのをいまだに忘れていない。

 ただ、それは本当だった。世の中思ったより私のことなんか気にしている人はいない。誰かに気を使ったとしても、多くの場合それは無駄になる。誰かへ配慮してやめたほうがいいかなとか思ったとしても、杞憂だ。みんなあまり他人に感心がない。これは真理だ。

 そして、傍若無人に育った。他人の考えていることなんかわからないし、であれば考えるだけ無駄。法律とルールは守るが、マナーや暗黙の了解は守る必要はない。最悪怒られたらやめればいい。

 

 文字にするとひどいもんだな。それでも、私は私のこと好きだよ。誰も私を見ていない話の延長で、世界のどこを探しても、私以外に私を愛する人はいないのだということに気がついたから。私が私を愛さないのなら、死んでしまったほうが話が早い。

 それにたぶん、私は私の存在理由を外部に託す――つまり誰かに愛されないと生きられなくなったら、それこそ自殺するだろうな。欲望を自己完結できないのはダサいから。

 こんな話をしたかったんじゃない。

 

 アドベントカレンダーがさ、まぁあちこちで行われているけど……世の中の人は思ったより書くことがないらしい。

 そのうちの多くは書き方がわからない状態なんだろうけど、白紙を前にして書くべきことがわからない人というのがある程度いるんだということを知ったのは収穫だ。

 みんな、自分の思想に興味がないのかもしれない。

 

 アウトプットとは、自分と向き合うことに他ならない。アニメの感想だって、何かを見てどう思ったか、という主観的なものだ。絵だってそう。音楽だってそう。

 日常生きていて何も思わないなんてことはありえないと思う。寒いとか、日が落ちるのが早いとか、釣瓶落としじゃんとか、鶴瓶といえばミネラル麦茶じゃんとか、何かしら感じたり考えたりすると思う。意外とみんな、それを覚えていない。

 映画を見たら感想ツイートを探して、自分と同じような感想にいいねをつける人が多いと聞いて、そんなところでサボるなよと思ったことがある。

 でももはやそっちがメインストリームなのだとしたら、世の中はどんどん薄まっていくだろうなぁ。個が。個性が。生まれるはずだった差分が均一化されていくんだ。

 

 

 これはひとつの絶望。みんな、自分が何を考えているか、何を思ったかに興味がない。

 そして、労力をかけてまでそれをアウトプットする人はもっと少ない。

 

 意見なんて衝突させてこそだと思うんだけどね。発信すらリスクと見做されて、みんなが同じ色になっていく。私にはそれがゆるせないよ。

  

  

@xa
副作用は夢を見ること