過去の文章の拙さに赤面する人が多いと聞くけど、私はそんなでもない。もちろん表現のあれこれを修正したいと思うことはあるけど、哲学は変わらないから。構成も表現も適切であれば、恥ずかしいとは思わない。
中二の頃にはじめて書いた小説とかはキツいけど……。
私にはこだわりがある。たとえば上の文章であれば、「キツい」をなぜ「きつい」「キツイ」にしなかったのか。なぜ「はじめて」は「初めて」にしなかったのか。各接続詞はなぜ用いられているのかなど、すべてを説明できるようにしている。
「できる」だって「出来る」とはしない。すべてに意味を込めて書いている。
その多くは理解されることはないんだけど。まぁことばというのはそういうもんだ。ただ、理解しようとしてくれる人くらいには、ある程度は伝わっていると思っている。
ポレンという催しがある。「名は命」と銘打たれた、オリジナルキャラクターを登録して戦わせるゲームだ。そこの話をしよう。
「不眠少女の夜」という名前を使ったことがある。やっていることが突飛だったのもあり、結構知られたんじゃないかと思う。ただし、誰にもなにも伝わらなかった。
あれは、キャラクターの登録ではなく夜の登録なのだ。少女はその場所への出演者にすぎない。また、彼女は不眠症ではない。眠らない、不眠そのものなのだ。不眠少女とはそういうことである。
で。
不眠の存在にとって、夜とはどういうものかというのがこの登録の一番の要旨である。それが生い立ちの文章だ。
世界が眠りについた後、いつもひとりで朝を待つ。ほら、今日も夜が来た――。
はじめてここまで喋ったな。続けます。
不眠にとって夜とは孤独です。みんな寝ちゃうから。だからこちら側にはなにもない。向こう岸に灯りの消えたビルだけがある。でもその孤独と絶望だけを提示するつもりはなくて、夜でも空には星と月が光っているよと。私にとって星は希望や思い出の象徴ですから、あの世界にもそれを分け与えました。色盲でも星は見えるんです。
と、いうのと……みたいなのがあと2個続く。そもそも上記の意味を込めていたとして、何を伝えたいんだみたいなところを書かないのが私の性格の悪いところ。意味ありげなことだけ書いて煙に巻くんです。私の口から言ったら意味がないから。
北極星は430光年先にあるそうです。私が書き残す何かもそれくらい残ってくれればいいんだけど、そもそも光の届く場所に置かないからなぁ。ゴミとして処理されないことだけが望みです。価値がないように見えたって、そこには意味を込めているから。