AIの利活用が進んでいる。良し悪しは別として。で、これがまたすごくて。
短いひとことでもAIが自然な文章に整えてくれて、
え……それはなに……?
日記ってそんな体裁を整えるべきものだっけ。自分のための言葉を、自分なりに記せばいいんじゃないの。短いひとことがその日記したいことなら、それだけでいいんじゃないの。
記事の中で例も示されている。その変換前後を見て悲鳴を上げた、心の中で。味が殺されている!
木の返答がしょうもないのはまぁいいよ。それで救われる人もいるんだろう(ChatGPTに相談するのも、マジでやってる人いるんだね。一般論を当たり障りのない言葉に包んだだけの応答でメンタルが安定するなら、私は別にいうことないけど、それはもう宗教と同じだと思う。金銭被害がないだけマシなのかな)。
でも!
言葉だけは、自分の言葉だけは守らなければいけない。
言葉は自分そのものだ。自分の見聞きしたものがそのまま表現される。AIによってそれを平坦化するなんて、しかもよりにもよって最もプライベートな文章を、日記を平坦化するなんて、人格の否定に等しいことだと思う。
そんなとこでまで見栄を張りたいのか? 仲間内だけに通じるあいさつや、自分特有の表現や、特定の単語に誰かにしか伝わらない意味を込めることだってあるだろう。それを捨てるなんて! と思う。
ただ、考えてみよう。なぜAIで丸めてしまうのか。
自分の文章にコンプレックスのある人が、自分の書いた文章をそれらしい形に直してくれることを嬉しく思うから……とかかな。他にあるかな。
そもそも日記なんて他人に見せるものじゃないと思うんだけど、これを使いたい人たちはそうではないのかな。
あるいは、自分ですら読み返せないほど文章が支離滅裂なのかもしれない。そんな人は日記なんてつけないと思うけど。
身近なアウトプットの中で最もプライベートな日記ですら体裁を気にしてしまうような人が生まれてしまうのは、インターネットが悪いと思う。なんでもかんでもシェアすればいいってもんではない。
これはいろいろな生成AIについて思うんだけど、あれらの利用者について、インターネットに実名を持ち込んだやつらと似ているなと思う。
もともと私たちの遊び場だった場所に土足で乗り込んできて、自分たちの都合のいいようにルールを決めていくんだ。
インターネットには顔も名前もいらないよ。
生成されたヘンテコな構造のいない動物の画像もいらないよ。
自分の言葉を他人の文章に置き換えるなんて大きなお世話だ。
ほっといてほしい。私に関係のない場所で、自分たちに都合のいい場所を作ってほしい。
可能であれば、私たちにさまざまな不利益をもたらさない形で。
無理だよなぁ。