2019年12月某日。
あれから一年。
昨年のソロキャンプは、今思い返しても惨敗だった。
あれから、しばらくはキャンプに行こうなどという気持ちにはなれなかった。
が、時間が経つと不思議と河川敷でみた夕日や、朝焼けの靄の中で食べた朝ごはんのキラキラした記憶だけが思い出され、半年も経った頃にはまた、キャンプに行きたいという思いが芽生えてきた。
とはいえ、去年のような敗北を喫すわけにはいかない。
前回の敗因、その最たるものとして、闇に対する装備の薄さだと分析した。
己の脆弱な心根は、闇で簡単に心をへし折られるということを知ったわたしは、アウトドアショップでヘッドライトを購入した。
家でも試しに使ってみたが、まるでわたしの視線がレーザービームのように闇を切り払うヘッドライトの威力に感激した。
また、中古ショップで激安で売られていたランタンも購入。 だいぶ古びてはいたが、布で拭き芯を取り替え、オイルを入れたらちゃんと使えた。 わたしにかかればランタン如きの修理など造作もないのだ。
更に、もう一つの反省点として、キャンプ地の選定も良くないと分析した。
誰の土地でもなく、誰でも入れるということは、逆に悪意を持った人間も来れてしまうのだ。
グループでのキャンプなら良いが、ソロでキャンプするには、いささか不用心である。
ゾンビ映画でも、真の恐怖はゾンビではなく人間なのだ。
あの夜のアレは夢かもしれないが、現実だとしたら、かなり怖い。
それに、あの日、河川敷を掃除していた老人のような方々の善意に甘えてしまうだけというのも気が引けた。
あの河川敷をよく利用するキャンパーで作るサークル等もあり、それに入会して清掃活動するという事も考えたが、そういった人付き合いが苦手だからこそ、わたしはソロで活動している。
そもそも、わたしのようなペーペーが、いきなり野営(キャンプ場でない山や河川敷でキャンプする事をこう呼ぶらしい)するのは、まだまだ経験値が足りなかったのだ。
ゆえに、今年は管理されたキャンプ場で対価を払ってキャンプをしようと決めた。
そこで選んだのが、滝ノ沢キャンプ場である。
家から、約35km。 自転車で3、4時間あれば走破できる距離。
途中で買い物する時間もいれて、5時間もあれば余裕だろうと、開園の13時から逆算し朝8時頃、2度目のソロキャンプへ向けて出発した。
それから6時間後。
わたしは、キャンプ場へと至る長い長い登り坂を、汗だくで歩いていた。
途中で買った食料とキャンプ装備で20kg近い重量の荷物が括り付けられた自転車が、重力に従い坂を下ろうとする。 必死にペダルを回して抵抗したが、ナメクジより遅いスピードと、耐え難い心拍により、自転車を降りた。

なぜ、こうなった? 買い物に時間をかけ過ぎたか? 登坂が多いことを考慮しなかったからか? いや、そもそも、スマホのナビが悪い。
ここまで来るまでに何度無駄なアップダウンを繰り返したことか。 まあ、最短距離で行こうぜ!と、その道を選択した過去のわたしが一番の元凶なのだが。
そんなふうに、様々なものを呪いながら、黙々と自転車を押すこと1時間。
予定から2時間遅れで、ようやく滝ノ沢キャンプ場に到着した。
チェックインの手続きをし、教えられた場所に自転車を停め、川を渡った先にあるフリーサイトに陣を張った。
既に10ほどのテントが張られている。
うん、やはり、これくらいは人が居たほうが良い。
とりあえず、テントを張ったところで耐えきれずビールを開けた。
氷と一緒に保冷バッグに入れていたのでキンキンに冷えている。
最ッ高かよ!
昼食も食べずにここまできたので、空きっ腹にぶち込まれたアルコールが光の速さで全身をかけ巡る。
途中で買ったおにぎりと漬物をビールで流し込む。
嗚呼、至福だ。 そんな多幸感に満たされながら、ゴロリと横になる。
わたしは、自由だ。
気がつくと、暗くなっていた。
登坂で疲れた後のビールで気持ちよくなり、テントで横になったまま寝てしまったらしい。
既にとっぷりと日が暮れている。
自慢のヘッドライトを装着し、自慢のランタンを鞄から取り出し、火を灯……そうとしたが、芯が短く火がつかない。
ツマミを回したが、芯がでない。 あれ?と逆にまわしたら、芯が落ちた。
家であれば対処できるが、この場では何もできない。 芯の落ちたランタンは事実上、ただの置物だ。
結局、その夜はヘッドライトで過ごした。
一時間以上かけて登った道は、帰りは15分で降りた。
あと、家に帰ってから、ランタンを修理し試しに着火したら、タンクが破損していたらしく、炎上し、紛うことなき置物となった。 中古品には気をつけよう。