残りカスの形質(https://sizu.me/xrg3/posts/c70ucais16xv)という記事で自分が末っ子コンプレックスだという話をしたが、末っ子特有の悩みがある、という話であって長子や中間子、ひとりっ子にもまたそれぞれ別の苦悩が存在しているだろうことも理解しているので、今回はまた別の話をしようと思う。
コンプレックスは年頃になれば誰もが何かしらで通るものだろうし、容姿なり性格なり、その種類は多岐に渡る。どこからどう見ても芋ブスオタク女だった私は垢抜けるということがうまくできないまま学生時代を終えてしまったが、今のほうが学生の頃よりいい女になっている自覚があるので容姿に関してのコンプレックスは特に気にならなくなった。下半身デブもスクワットを続けて少しづつ改善していきたいと奮闘している最中だ。末っ子コンプレックスも、みんなそれぞれ悩んでいたんだろう、と思うようになってからはかなり改善されたし、他人と比較することを極力しないように今でも意識し続けている。
そんな中で唯一残っているコンプレックスが「字」だ。これだけはどうしても直らない。直したくて努力するために字を書く練習をする、というのが苦痛で仕方ないのだ。元々は学生の頃からアホなのかというほどの完璧主義者で、授業のノートを綺麗に書かないと気が済まなかった。けれど綺麗に書く以前にまず字が下手だったせいでこのミッションが完遂されたことが一度もない。しかも当時は極端なことに、綺麗に書けないなら書かないほうがマシだという独自の理論を持ってして私は中学から大学までノートをまともに取らなかった。眠くなってミミズ字が走ればアウト、定規を使っているのに赤ペンが斜めに引かれてしまえばアウト、そうなるとそのページを放置するという最悪な手法をとっていて勉強どころではなかった。学生時代に学んだことなんてほとんど覚えていない。ここまで来ると逆になんなら覚えているのかと自分に問いたい。ユーキャンのボールペン字に挑戦しようと教材代を支払ったにも関わらず、添削用のハガキを出すことすらしなかった。最初に大量の教材と一緒に送られてきた可愛らしいボールペンセットを使うこともなかった。
私は字が綺麗な人を尊敬している。この綺麗というのはかなり幅広く、クセが強くても綺麗だと思えば綺麗だ。習字を習っていたんだろうなと思う人やのし紙に筆ペンで名前を書ける人、まるっこく可愛らしい字を書く人、夜のハイウェイのような字を書くフォロワーもいる。私はそういう人たちを尊敬しているし、何より字が綺麗な人は絵も上手い。線を引くのが上手いのだから、綺麗な線画を描けるのも納得がいく。私がなかなか絵を描けないのはそこにあり、クリスタで新規作成をした際、真っ白なキャンバスにラフを描くための線を引くことを極端に嫌っている。最初さえ頑張ってある程度描いてしまえば私の脳はラフ画を線でなく図として認識するようで、そうなればあまり気にせず絵を描けるようになるが、それまでにかかる時間があまりにも長い。最初の線が描けない。何度やっても消すの繰り返し。そりゃあ絵が上手くなるわけもないと自分でも納得する。完全に主観での判断にはなるが、字が汚いと思う人で、絵や文章が綺麗だった人を私は未だに見たことがない。
今では100均でもボールペン字練習帳が売られていて、部屋の整理をしていた時おもむろにそれを発見した。字が汚いというコンプレックスは、個人的には大人になった今でも改善したいものらしい。絵に関する教本も有名なものが出てきたがあまりちゃんと読んだ記憶はないし、それを参考に絵を描いた記憶もない。ボールペン字練習帳は3ページ目以降書かれていなかった。やはり、字を書くことが苦痛だったらしい。
モーニングノートを始めて、汚い字で書きなぐることに慣れた今なら、少しくらい下手でも許してあげられるだろうか。字は顔と同じぐらいその人を表すと言っても過言ではないと個人的には思っているので、今改めて字の練習をしようかな、なんて思っている。まだ教本のページすら開いてはいないのだが。