唐突だが、私は今月末に手術を控えていて、それを口実に仕事を辞めた今年本厄の無職女だ。
別に隠すことでもないしここを見ている可能性のある身内には教えてあるので簡潔に言うと病名は顔面けいれん。顔面神経に脳の血管が当たってしまっている影響で、右側の口角が勝手に持ち上がり、勝手に右目が閉じてしまう。コロナの影響でマスク社会に慣れきっていたこともあって私は騙し騙し仕事をしていたが、やかんのお湯をポットに移すタイミングでおもむろに右目が閉じて遠近感が分からなくなり、盛大に自分の足に熱湯をぶっかけたことをきっかけにさすがにまずいと思い、昨年の夏頃から脳神経外科に通い始めた。特効薬と呼ばれているらしい薬を飲める限度の量まで飲んでも症状は改善されなかった。薬が効く人も実際いるらしいが、効かない場合はボトックス注射で勝手に動く顔を麻痺させるか手術するかの二択だった。紹介状を貰い別の病院に通い出してからはとんとん拍子に話が進み、入院日も手術日も早い段階で決まった。ボトックス注射は高い割に効果期間には個人差があり、それも根本的な治療にはならないからだ。ただここに至るまでは本当に長かった。
最初に違和感を感じたのは7年ほど前だ。片目がぴくぴくけいれんしていて、なんだか気になる程度だった。目の疲れか、仕事のストレスだろうとしか思わなかった。この症状が長く続き、まあ仕事をしている以上勝手には治らないんだろうと思っていると、今度は勝手に口角が上がっている感覚に気づいた。おそるおそる鏡を見た時のことを忘れられない。右側だけ歪に引きつった顔をしていた私は、すぐに調べてそこで初めて顔面けいれんという病気(と言っていいのかも分からない。病気というより症状で、脳の血管が当たってしまっていることによる顔面神経の誤作動だから)の存在を知った。地元の脳神経外科ですぐMRIを撮ってもらったが、この時の担当医の話が適当で画像を見ながらこれがそうと言われても何がどうなっているのか分からないまま薬を処方された。当時処方された薬は副作用で一部の音が半音下がる(Suicaのタッチ音や好きな曲のベース音だけ等、かなり違和感があった)というもので、最初は楽しんでいたものの自分はこのまま続々と出てくる新しい音楽やSEを正しい音階で聞くことができなくなるのかという恐怖もあった。そんなことを怖がっているうちにコロナ禍に入り、その病院どころかセカンドオピニオンすら行くことを躊躇われた。顔面けいれんは命に関わる病気でもなければ人に移るようなものでもない。病院に足繁く通ってコロナにかかってしまうほうがよっぽど怖かった。仕事のストレスからスタートしているような気がしているくせに、コロナにかかって職場に迷惑をかけるのは嫌だという気持ちでいたのだから社畜もいいところだと我ながら思う。
顔面けいれんのリスクには長く放っておくと勝手に動いてしまう表情筋が次第に疲れ、逆に麻痺してしまうという本来とは別の側面がある。もし、何かをきっかけにこのページを見つけた同じ症状がある人がいるなら私は何よりそれを知ってほしい。顔面けいれんは手術で治る(リスクは勿論ある)が、顔面麻痺が進んでしまった場合、顔面けいれんを治す手術をしても顔面麻痺は治せない。勝手に動く煩わしい顔が、逆に動かしづらくなる。本当に少しずつ、私も顔面麻痺が進行している可能性があるらしい。顔面けいれんだけでも私生活に大きな影響が出るのに、それがもっと進行してしまえば、口をちゃんと閉じることができなくなったりする。私は食べ物をこぼしてしまうことが本当に恥ずかしくて嫌いなので、それだけは避けたいと思った。手術する方向に早めに舵を切ったのも、それまで放置してしまった期間が長かったことと、この件が深く関わっている。薬でやり過ごすか定期的にボトックス注射を打つか手術するか、メリットやデメリット、手術する場合のリスク等の説明を細かく受けた上で、どうするかは自分で決めなければならない。手術も100%成功する保証なんてないし、少なくとも簡単な手術ではないことぐらいは分かる。薬でなんとか改善されないかな、と思っていた頃の私には、経験したことのない手術に対するリスクへの恐怖とは別に、ある友人のことをいつも思い出していた。
その友人は高校時代、同じクラスで唯一私の話を聞く姿勢を持ってくれる子だった。生まれつき心臓の病気があり、長くても30歳までしか生きられないと言われていたらしい。心臓に負担がかかる運動はもっての他、検査入院で学校を休むこともしばしばあった。けれどそれ以外は本当に普通の女子高生だった。学校帰りには近くのショッピングモールに寄り道してフードコートで長時間喋り倒したし、同じ資格を取るために一緒に勉強したし、彼女は資格を取って就職しようという気持ちも強かった。その当時、まだ女子高生だった自分たちからすれば30歳なんてまだまだ先の話じゃんwwなんて笑っていた記憶もある。
そんな彼女の訃報は高校卒業後、大学に入学する前に高校時代の担任から電話で知らされた。私はあまりに突然すぎた訃報を受け入れられず、家の庭でひたすら泣いた。30歳までは生きられるはずだったのに、卒業しても連絡を取り合って遊ぼうと約束していたのに。まだ成人すらしていなかったのに。
卒業前に彼女から手術を受けるという話は聞いていた。それは本来受けなくてもいい手術で、けれど手術を受ければ彼女がずっと気にしていた症状(顔に関わる部分)が改善されるそうだった。私は彼女の症状に関して特に気にしたことはなかったが、彼女にとっては強烈なコンプレックスで、ずっとどうにかしたいと思っていたらしい。未成年のため親の同意も必要だが、最後までサインすることを渋った母親の代わりに自分でサインしたとも言っていた。亡くなった後、一度だけ彼女の家にお邪魔したことがあったが、その時に彼女の母親が「私はあの時自分でサインしていたらそうした自分を一生責めたと思うから、そうならないように責任を負ってくれたんだと思う」と仰っていた。手術そのものは成功したのに、数日後容態が急変し、そのまま帰らぬ人となった。もしあの時手術をしていなければ、彼女は30歳まで生きられたんだろうか、と度々考える。自分が30歳を越えた今、彼女が迎えられなかった令和を生きている。平成が終わったことを彼女は知らない。僅か18歳で亡くなった友人のことをいつも思い出す。これは勝手な想像に過ぎないが、彼女はおそらく、手術を受けたこと自体を後悔していないと思う。
もともと心臓の病気があった彼女とは違い、私は健康体そのものだし現代医療を信じているので手術に関しては特に怖いとも思っていない。全身麻酔で眠っている間に全てが終わるんだろうとは思っている。でももし、万が一、何かが起きたら。95%は成功すると説明されたが、残りの5%側に選ばれたら?コロナ禍のこともあったが、調べればいくらでも情報を見つけられる今の時代で、すぐに手術を受ける決心がつかなかったのはここにある。腹を括ればなんてことはないけれど、それでも、もしかしたら、を考えてしまう。だからこそ万が一が起こったとしても後悔しないよう、今自分にできることややりたかったことを限られた時間の中でできるだけしていると思う。そのお陰で1月は馬鹿みたいに出かけ続けている。他の記事にも書いたが挨拶回りもしたし厄祓いにも行ったし、家でゆっくりするつもりが外出してばかりだ。入院する前日には空気を味わいたいがために同人イベントにも参加する。とはいえ、術後にしたいことも沢山あるし会いたい人もいるが、万が一それができなくなったとしても、後悔がない状態にしておきたい一心で動いている。
1%以下の可能性にも備えてメモも残しておく予定だが、改めてここで明記しておきたいのは、手術でどんな結果になったとしても私は手術を選んだことを絶対に後悔しない。ここに関しては何があってもブレない。誰のせいにもならないし、選んだのは自分だから。なんなら初めての全身麻酔はちょっと楽しみだったりもする。どうせ秒で眠ることも分かりきってはいるけれど。