どうしてなのかはよく分からないけれど、自分はとにかく人に恵まれている、と常々思う。私は私でしかないと諦めている凡人にも関わらず、どうしてこの人は私のことを気にかけてくれるんだろう?と思うことが度々起きる。
学生時代、特に高校までは人に恵まれているという感覚は持っていなかった。学校内にある社会(どのグループに属するか等学生特有のもの)からはずれないように、除け者にされないように、ぼっちの変なやつだと思われないように、仲良くなった友人に嫌われないように。何に対しても自信のない自分は人の言うことに従うという方法しか知らなかった。興味のないことにも興味があるフリをして、遊びの誘いも断らなかった。一度断れば嫌われてしまう(今いる社会から追放されてしまう)と思い込んでいたから。この時点で、相手との関係が友人でなく主従関係に陥っていることに気づいていなかった。実際にいた「学内でひとりで行動する人」は変人だという先入観があり、自分がそういった目で見られることを極端に恐れていた。
大学生は授業も自分で選択し、一匹狼が多いだろうから一人でいても目立たないだろうと思っていた私は、ゼミで仲良くなった子たちと結局ほぼグループで動いていたことがずっと不思議だった。同じ学科で必修科目が被るので確かに同じ授業を受けることは多々あったけれど、席もグループで座り帰りも同じメンバーで帰っていた。なんなら大学の時にいたゼミのグループが一番人数が多かったし、一番自由度が高かったと思う。その中で、V系バンドの追っかけをしていた友人がいた。彼女の行動力、ガチ恋故の言動、私には理解できない部分も多かったけれど、私の価値観に大きな影響を与えてくれたのは彼女だった。高校時代にゆるっとV系が好きでライブに行っていた私は、その友人からライブに誘われることも多かった。有名なV系バンドから全く知らない無名揃いの対バンなど様々だった。人から嫌われたくない一心で、誘われたら断れないとずっと思っていた私は、どうしても気乗りしなかったので誘いを断ったことがあった。本当にごめんと謝った時、その友人は「いいよいいよ!また誘うね」と言ってくれた。『人の誘いを断ってもいい』ということを知ったのはこの時が初めてだった。大学生にもなって、と思われるかもしれないが、私は人に怒られたり嫌われることを極端に恐れていたので、この時の友人の切り返しがあまりに軽くて衝撃を受けた。そして友人はその後も本当に何度も誘ってくれた。断ったり、気が向けば一緒に行って頭を振ったり、自分で選んでいいと知ったのはこの時が初めてだった。正直兄弟で唯一大学に行かせてもらえている時点でかなり恵まれているし、だからこそ今の自分があると言える。
卒業して10年以上経った今でも会って話したいと思うのは同じサークルでバンドを組んでいた友人たちだけだ。この友人たちは私にとって心から尊敬できる人で、そもそも育ちの違いが顕著に出ている。家庭環境もそれまでの学校生活も私とは全く違う人生を歩んできたからこそ、大学で仲良くなれたのは奇跡に近い。今でも連絡を取り合う彼女たちのことはずっと尊敬しているし、そもそも私はどこか尊敬できる人、憧れている人と一緒にいようとする傾向がある。(これは末っ子特有の部分でもあると思う。結局私は上の兄姉を尊敬し憧れ、だからこそ自分への劣等感を抱え続けていたから)尊敬できる部分というのは人によって異なるが、尊敬できる上に気兼ねなくフラットに付き合ってくれる友人たちのことが好きだ。この友人たちに出会えただけで、自分はあの大学に行った意味があったとはっきり言える。授業内容はほとんど覚えていないけれど、人に従わなくていいことを知った大学生活は私にとって特別なものだった。もし高卒で就職していたら、きっと私は上からの言うことに全て従うタイプの社畜になっていたんだろうと思う。断り方を知らないまま大人になるほど恐ろしいことはない。断ってもいい、自分の意見を主張してもいい。おかしいと思ったらそう言ってもいい。人付き合いをする上で、自分の意見を持てたのは大学生の頃からだったと思う。
社会人になり、職場でも沢山の人と関わった。接客業だったこともあり、職場内の先輩後輩は勿論、お客様という人との関わりも自分の中では勉強になることが多かった。世の中には沢山の人がいて、あらゆる考え方がある。人によって持っている信念は違うし、それを表に出すかどうかだって人それぞれだった。年上のおば様が多かった職場に入った私を陰でヒソヒソ言う人もいた。何をしたって私を気に入らないという人だって勿論いるだろうし、私はそれを意に介さず絶対に誰にでも同じように下っ端精神で接した。年齢関係なく全員が先輩。陰口を言っていた人も次第に慣れたのか私を気に入ってくれた。他の人たちも優しい人ばかりだった。気が強い主婦さんも、機嫌が悪そうな時は子供のことを聞けばニコニコしながら沢山話してくれた。人の話を聞けることは才能だと知ったのはもっとずっと後のことだけれど、私は最初から人の話を聞くことを徹底して職場の空気を把握していった。同じところで長年働けば今度は後輩が増えていく。学生のバイトや年上の派遣、一言も口を聞かずどうしたらいいか分からない人もいた。教育係を任されるようになってからは感謝されることも増え、最初に私から教わった人は長くいてくれることが多かったし、卒業で辞めた元アルバイトの子が今でも連絡をくれる。いい企業に入りバリバリに営業回りをしている子も、私に仕事を教わったからこそ今があると言ってくれる。大学時代に私の価値観を変えてくれた友人のように、私も誰かにとって小さな影響を与えている可能性があるんだな、と思った。
私が働いていた店舗の常連さんの中で、別のフロアで働いている人がいた。何をきっかけに仲良くなったかは全く覚えていないけれど、私がいる時に立ち寄って買い物をしてくれる常連さんだった。お母様を連れて来てくれたこともあるし、お母様はなぜか私のファンらしい。本当に何度も立ち寄ってもらったこともあり、仕事を辞めた後に出勤日を聞いて挨拶に伺った。気を遣わせてしまうのが申し訳なかったけれど、辞めた理由として手術することも話した。そうして、店舗にクリーニングした制服を返す際、また会いに来て欲しいと言われていた。絶対何か渡してくる気だ!と手術の話をしたことは後悔した。会社の文句だけ言っていれば良かったのに、正直に話して申し訳ないとも思った。フロアにいる時間を聞いて伺うと、案の定餞別を渡してくれた。この人は私が働いていた店舗の常連で、私と仲良くなろうとならなかろうと好きなものを買っていただろうし、この人が働いているフロアで私は買い物なんて一度もしたことがないのに。餞別にはお守りも入っていた。私の手術が成功するようにと、わざわざ用意してくれるような素敵な人だ。
同人イベントで知り合った友人も、私よりずっと年下なのにしっかりしていて、私よりずっと沢山のものを見て育ってきた人がいる。少し遠くに住んでいるが、いつでも私に会おうと連絡をしてくれる。私は連絡不精で中々自分から連絡しないし、年下にしつこく会おうと連絡する年上は節度を弁えないといけないと常々思っているところもある。年下の子から誘われているうちが華だなと思うし、会って話をしたいと私を思い出してくれることがありがたいなと心から思う。
今、頻繁に連絡を取り合うほど仲のいい友人はそれほど多くない。縁を切った友人も、縁を切られた友人も当然のようにいる。
それでも私は、ずっと人に恵まれている。不思議だ。