手術後はICUで過ごした時間が一番つらかった、という話を最初に書いた。その次に大変な目に遭ったと思わされたのが病院食だった。
健康面に配慮し薄味でおいしくない、なんていう大昔の勝手なイメージを斜め上から叩き壊してくれた病院食は、ごはんは200g麺類なら210g、ごはんの場合は汁物、メインのおかずと小鉢は2品以上と相当な量を出された。手術の2日前に入院し、健康な状態だった時ですらぎょっとする量だったのに、術後でまだ傷口も痛むし熱もあるという状態でも全く同じ量を出された時はマジか……と呟いてしまった。ごはんはおいしかったし、メイン料理は味が濃いことにも驚いた。豚肉の生姜焼きが出たときは生姜のパンチが効きすぎていてむせたし、鯖の味噌煮もごはんが進む味だった。節分には普通量の食事の他に小袋の節分豆もしっかり出され、持って帰って食べるものでもないしな……とひたすら豆を噛んで水で流し込んだ。自分の身体とここまで向き合ったことはなかったと実感した病院生活で、こんなに真剣に食事と向き合うことも今まではなかったなと思い知らされた。特に術後はフードファイターぐらいの気持ちでいないと攻略できない量だったので、夕食の小鉢のうち1つが果物だったりすると泣きたくなるほど嬉しかった。そんなに多いなら残せばいいというのは当然の話だし自分でも理解はしているけれど、出された物はきれいに食べきるというのがなぜか私の中では絶対で、母親もこのタイプだった。高熱でどうしても食べられなかったものもあったけど、ほぼ全て完食していたこともあって点滴をはずして栄養は食事から、という流れになるのも早かった。(同室の患者さんは食欲もなく点滴が取れないと言われていた)
私にとって食事は『生きていく為にしなければいけない作業』でしかない。こういう言い方をすると誤解を招くかもしれないが、食に対する興味がないだけで食べることが嫌いなわけではない。しなくていいならしないけど、しなきゃいけないのも分かっているから渋々しているところはある。とはいえ好きな食べ物もあるし、人とご飯を食べるのも好きだ。ひとりで食事をする時は大体動画や配信を見ながら用意したごはんを見ることもなく、とにかくお腹が膨れればそれでいいという感覚で食べていた。それでも仕事をしていた頃よりは食生活を考えなおしていたつもりだったので、病院食で上から殴られることになるとは思ってもみなかった。実家にいたころは何時に帰宅しようと母親が用意したごはんを出され、そんなに食べられないと言っても小鉢を増やそうとすることに疲れていたのに、病院食を食べていた時は母親の出していた量は正しかったんだなあと思い知らされた。とはいえ規則正しい生活をしていれば、の話であって22時過ぎにあの量を食べろはやっぱり無理があるとは思う。テレビも見る気にならなかったし、だらだら食べていると満腹になって入らなくなってしまう気がしたので入院中はただひたすら食事と向き合ったし、咀嚼回数があまりに少ないことに気づいてたびたび心の中でもっとちゃんと噛め!と唱えていた。今までこんなふうに思ったことはあまりなかったので、退院後もしっかり噛んでいるかは意識しようと思い実践している。
病院では朝がパンとおかずかスープ、牛乳は必ずついていてみかんやチーズが追加されている比較的軽いメニューだったことも救いだった。牛乳を飲む度に生きてるなあと実感した。食べることは生きることでまず間違いはないし、入院中にひたすら食と向き合ったあの感覚は人として大切なものだったと思うのでこれからも忘れないでいたいと思う。