マリオの映画を観た

xrg3
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もともとは姉にずっと前から言われていた「ゾンビマックス!〜怒りのデス・ゾンビ〜」を一緒に観たい(?)という願いを叶えるためにPS4でアマプラを見られるようにしたことがきっかけだった。ゾンビマックスは評価もそこそこ高く、姉曰くB級映画ではないらしかった(私はB級映画にもゾンビ映画にも詳しくない)ので普通に楽しんだ。ゾンビ映画は最終的にゾンビを殲滅したり原因をつきとめて解決、というものより打ち切りの冒険漫画のように「俺たちの戦いはこれからだ!」というものが多いらしいし、実際ゾンビマックスもそうだった。というかゾンビマックスは色々分からないまま終わった。臨場感を出すためかやけにアップが多かったことと飛沫感染?なのか噛まれたり血を飲んだりすることがきっかけなのかが気になった。ある血液型だけ感染しないというのも詳しい理由は分からず、最後もどうなったのか分からないまま終わった。かっこいい女がいたのでそれで良し、ぐらいの気持ちで見ていた(ガバ)

それからおすすめ欄に出てきた懐かしいアニメや猫の検証番組などを観た後、マリオの映画が入っていることに気づいた。去年劇場公開されたばかりの作品だったのに、もうサブスクで観られるようになるなんて思ってもみなかった。特に任天堂信者というわけではないし、マリオシリーズのゲームも中途半端に手を出しているに過ぎない。それでもキャラクターは一応分かるし、映画が公開された頃からずっと評価が高かったこともあり観てみることにした。私と色々なことをしたいらしい姉の目的のひとつに「一緒にスコーンを食べたい」というのがあったので(??)一緒にスコーンBBQ味を食べていた。数年食べていなかった間にパッケージも全く知らない仕様になっていたけれど、いつまでも指に残る匂いは相変わらずだった。これをしたかったらしい姉の思惑は未だによく分かってないし、これをして何か達成感があるのかもよく分かっていないが、達成できて何よりだと思う。

マリオの映画は昔からゲームを遊んでいた人にも、そうでない人にも楽しめる内容だったと思う。中途半端に色んなゲームを遊んでいた私は多分細かなネタには全く気づけていないが、それでもマリオとドンキーコングの一騎打ちで姉妹揃って盛り上がり、ドンキーコングは2を一番遊んでいたので観客席にいるディディーとディクシーに思わず声が出たほどだった。あらゆるシーンで割と声が出てしまっていたので、映画館で観なくて良かったと思う。ピーチ姫もただクッパにさらわれるような子ではなく、強い女性像をそのまま表したようなキャラだった。それでいて美しく、バイクに乗った時やファイアフラワーを手に入れた時は衣装チェンジもあって助かった。素敵な女性の衣装なんていくらあってもいいので。あとクッパのソロを定期的に聴きたくなってしまう気がする。クッパってあんなにかわいいキャラだったんだな……。

観ていて気になったのはマリオと父親の確執、それとルイージの存在だった。作中では兄弟で独立し新たな仕事を始めようとする中、なぜかマリオは父親から責められることになる。弟を巻き込んで、という具合に。実際は初仕事に行く際も箱を持っているだけでただあたふた歩いているだけのルイージに対し、あらゆるギミックを乗り越え一足先に進み、弟が通れるように扉を開けてあげる兄のマリオは間違いなくルイージを弟として大事にしているし、ルイージも兄を慕っているのに親がその事実に気づいていないのはなぜなのか?最後はスーパースターを取った二人が強化されるけど、それまで捕まってしまっていたルイージがしたことは最後の最後にちょっと勇気を出して炎から兄を守ったにすぎない。それだけをきっかけにマリオと一緒にスーパースターの力を手に入れられるのは流石にチートすぎない?というのが率直な感想だった。この激闘の末にマリオは父親に認められてそれまでのことが昇華されたのかもしれないが、ここだけはなんだか納得がいかなかった。なぜ無条件に弟が認められ愛されるのかが分からないからかもしれない。でも炎から兄を守った功績があまりに大きいことも分かる。おそらく、おどおどして兄任せで何もしていないルイージが嫌というよりはそういう弱者をつくりあげておきながら兄を責める方向に舵を切った父親が嫌だったのだろうと思う。マリオのアニメでどこ見てるんだという話ではあるんだけど、父親にとやかく言われる部分は必要なシーンだったのかな、というのが甚だ疑問だ。

@xrg3
好きなことときらいなこと、まるめた自分