何かを好きになるということは才能である。という言葉にハッとした。何にも興味を持てない、という悩みを抱えている人がいることにも。
私は客観的に見てもあらゆることに興味を持たない側の人間だと思っているけれど、何かを好きになるのが才能、と言っていいならゲームが好きなことは才能のひとつだろうと思う。上手いかどうかはまた別として、RPGをクリアする、音ゲーのフルコンを狙う、スプラトゥーンのウデマエを高める、こういったものは全部才能のうちに入っていたんだなと思った。友人にテイルズシリーズで特に好きなTOVを勧めて4人ほど買ってくれたと把握しているけれど、皆がまずザギ戦で躓くことが衝撃だった。シリーズをある程度やってる人間からするとVはダンジョンもそこまで迷路化していないし宝箱の回収も楽なほうだと思っていたから、道に迷ってどこに行ったらいいか分からないと嘆く友人にも驚いた。次の行先はスキットでキャラクターたちが喋り、あらすじのページを見れば何が起きて次にどうするかも書いてあるからだ。昔のシリーズにはそんな優しさも何もなかったし、初代TODはしばらく立ち止まっていないとキャラ会話が発生しない謎仕様だったし、ダンジョンで永久に迷い続けた記憶もある。ゲームもどんどん一本道になっていくけど、まあRPGはラスボスの手前であちこち飛び回ってサブイベ回収するのがセオリーだよねと思っていた私は友人たちの『敵が倒せない』という阿鼻叫喚にどうしたらいいか分からなかった。一応難易度は選べるのでイージーにすることを勧め、ある友人に至ってはついに戦闘はオートで進め始めた。
身内や友人の話を聞くとどうしても自分は何においても中途半端でだめだな、もっと沢山のアンテナを張ったほうが楽しいだろうに、とは常々思っている。でも中々そんな気になれなかったり、新しい作品を見ることを躊躇ったりする。楽しめる自信がなかったり、本腰を入れようとすると疲れてしまうからだ。趣味が多い人は本当に多才で、けれどその分私よりずっと忙しそうに見えたりもする。食事が好きな人は食に関する才能があるし、私はくるみが大好きでできればくるみだけ食べて生きていけるならそうしたいぐらいにはくるみが好きなのでくるみの才能はあるんだろうと思う。くるみの才能とは…?
自分には何もないと思いつつ、ゲームが好きで、古めかしい喫茶店でホットケーキを食べたり、おしゃれなカフェでケーキを食べるのも好きだったりする。コーヒーも好きなので、これもひとつの才能ということにしたい。寝るのが特に大好きなので、恐らく眠る才能は抜きん出ているとも思う。必要な才能なのかは分からないが。