無事に退院して実家の世話になり、自宅に戻った後もゴロゴロしているだけであっさり一日が終わってしまいそうなので思い出せる限りで今回人生初だった手術について振り返りたいと思う。
手術は本当に気がついたら終わっていた。大昔のドラマなどで見た手術シーンとは全く違う主治医の先生や看護師さんの格好、手術室が想像の5倍は広くて、麻酔科の看護師さんが遠くから「左手ビリビリするかも!」と大声で言ってて確かにビリビリするな……いや声遠くない??と思ったり。大きなモニターがいくつもあり、血圧や脈拍、手術中の私の全てをこういった機械や人の手に委ねることは不思議な気分だった。麻酔には全く抗えず、看護師さんが肩をとんとん叩いてくれていた時は幼児返りした気分だったし、そのまますぐに落ちた。
手術後はICUに運ばれ、待っていてくれた身内とも会話をした。後々母親に聞いたことだが私は手術室→ICUの間の道中で会話をしていたつもりだった(ベッドを動かされている気がしたから)けど実際は母も姉もICUに入り10分ほど会話をして帰ったらしい。準備を含め計7時間半に渡る大手術だったことに驚いたらしいが、私は時間を聞いた記憶があまりない。ただ姉に「大根みたいになってる」と言われたのだけは妙に覚えているし、実際姉に貰った写真の私は顔がパンパンにむくみ、頭を包帯でぐるぐる巻きにされた大根と化してて笑ってしまった(無事に終わったからこそ笑えているんだけど)貴重品入れの取り替えで中に入れていた財布を母親が預かったという話も全く記憶になかったので、翌日見舞いに来た母親に「はい、財布」と出された時は手品かと思った。あとはとにかく目が開かない、と言っていたらしいが、これは多分ずっと言っていた。包帯の巻き方もあるし顔がパンパンだったので、ICUでも包帯をずらしなんとか片目を開けて看護師さんや時計を見ていたし、手探りで水を探したりもした。麻酔から目を覚ました後は記憶が曖昧になる人も多いらしいので、ここで何か変なことを言ったりせず普通に会話できていたことには安心した。ほとんど記憶にないれけど。
術後で1番苦しかったのがICUで過ごした時間だ。熱でうなされ、検温や血圧測定は2時間ごと。足には血流をよくする装置のようなものをつけられ、足首からふくらはぎにかけて順番に加圧されていく煩わしさで眠れるわけもなかった。痛いと言うのは看護師さんに訴えたい時だけだったが、痛み止めの点滴は6時間空けないといけないと聞いて時間の進まなさに絶望感すらあった。初めての手術でこんなに意識がハッキリしてるのは凄い、と言われた記憶はあるが、意識がハッキリしていたのかは分からない。とにかく飲水不可でひたすらうがいをしたこと、痛みや苦しさに耐えないといけない時間を長く感じて呻いていたことを覚えている。朝の時間帯に唐突に手術着を剥がされ、熱いタオルで身体を拭いてもらった時は介護される高齢者はこういう気分なのかな…と思いながらされるがままだった。尿道カテーテルを入れられていたのでトイレに起き上がることもせず、呻きながらずっとベッドに寝転がっているしかなかったあの時間はただつらかった。
CTやMRIを受けて、病室に戻ったのは翌日の昼過ぎだった。この時、私はベッドごと運んで貰って病室に入ったつもりでいたけど、同じ症状で手術を受けた同室の患者さんは車椅子で帰ってきていてあれ??と思った。少なくとも車椅子で戻った記憶はないし、検査もストレッチャーを使って看護師さんが運んでくれた記憶しかない。ベッドごと戻ったと思い込んでいて実際は違うかもしれない。何故かこのあたりの記憶がかなりあやふやになっている。検査後に包帯を巻き直してもらってなんとか前は見える状態になったし、見舞いに来た両親とも普通に会話していた。母親はこの時私の顔が術後より小さくなってることを実感したらしい。笑 こうしてICUに植えられた大根は無事に病室に戻り、夜は当然のように普通食を出され別の意味で唸った。病院食のことはまた別記事で書き残したいと思う。