霜月というほどには寒くもなく霜も下りない11月が終わる。夏の長期間に及ぶ無休労働からようやく解放されて、無収入生活に突入した。貯蓄を切り崩す、侘しい冬の日々の始まりである。
退屈しているからか時間が過ぎるのがゆっくりになっている。働いていないとあっという間に時間が過ぎそうなものだがそうでもない。冬場の地味な労働をゴソゴソとやっては休み、本を読んだり読まなかったりしている。充実した無為な生活という感じだ。人は長期休暇には必ず飽きる。待っているのは憂鬱だけだ。それも収入が不安定ならばなおさらだ。
長い間書き続けてきた大学時代の思い出話にはいちおう終止符が打たれた。もはや実際にあった出来事なのか妄想なのか分からず、大学に行っていたことすらあまりにも昔すぎて、本当に大学生の頃があったのだろうかと自分でも疑問に感じていた。だから四半世紀ぶりに母校を訪れたのには自分の記憶を確認するための意味があった。しかしながらあまりにも時間が経過しており、現在の大学と30年前の大学はやはり結び付かない。それでも精神的な効果は良くも悪くもあったようで、過去のことを何も書けなくなった。急に揮発してしまったのだ、これはいったい何を意味するのだろうか。なんにせよ、母校訪問の収穫があるとすれば、それは現在のこの場所とあの街が地続きで結び付いているという感覚が生まれたことだろうか。
長い冬が始まる。冬は僕の季節である。冬は陰鬱な思索には最適である。廃墟のような過去の記憶について、寒い灰色の世界で思索を深めたいと思う。