じゃんけんトーナメント

チェシャ猫
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能力とか実績とか呼ばれるものの正体は何だろうか?

仮に 1024 人でじゃんけんトーナメントを行ったとしよう。このとき、1 位の選手は驚くべきことに 10 連勝という「圧倒的な実力」を見せつけて優勝した。さて、この事実は彼または彼女に内在するなんらかの「じゃんけん力」を担保するだろうか?

また別に、平均して 10 戦中 9 勝できるような「じゃんけん力」の持ち主がいたとしよう。完全に運の勝負ならば 10 戦中 5 勝になるはずだから、彼または彼女は類まれなるじゃんけんの才能の持ち主に違いない。

しかし、このじゃんけんの天才がじゃんけんトーナメントに出場したとしたら、その最終成績は偶然の女神の采配によって大きく変わりうる。なんせ、10 分の 1 の確率で発生する負けがどのタイミングになるかによって、準優勝から初戦敗退まであり得るのだから。

予防線を張っておくと、もちろん、実際の社会において「能力と呼ばれているもの」はじゃんけんよりもおそらくは少しだけ複雑なルールを持つ。受験なり、就職活動なり、転職活動なり、昇進なり、結婚なり、何らかの能力を測ると見做されている有形無形のイベントは、じゃんけんと比べれば少しだけ合理性に基づいて勝敗が決められている。そしてトーナメントよりは試行回数も少しだけ多く、何度か対戦するうちに、偉大なる大数の法則の導きによって我々の人生は期待値に収束していく。

では、じゃんけんよりも少しだけ合理的らしい、能力とか実績とか呼ばれるものの正体は何だろうか? あるいは、こう問おう。我々は、それが何であって欲しいのか?

@y_taka_23
著名ねこみみエンジニア