自分のサービスのみで生活した2年を淡々と振り返る

yada
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公開:2025/12/31

30歳、福岡在住、妻と2人暮らし、職業 個人開発者 をしている。

2024年01月01日、自分のサービスのみの生活が始まった。

2025年12月31日、それから丸2年が経った。

今年も、生き残れた―。

この2年、思ったよりも様々な感情を経験した。

期待、不安、焦り、忍耐、孤独、希望、失望、規律、達成、高揚...

孤独だからこそ、獲得できる感情も知った。

そして今、自分の心を占めているのは「幻滅」または「賢者モード」に近い感情である。自分の実力が、以前よりもはっきり見えるようになったからだ。ネガティブな言葉に見えるが、前向きに捉えている。伸びしろを見るようになった、と言い換えることもできる。

振り返ろうと思ったのは、昨日妻に花を買ったからだった。

卵を買いに行くをフリをして、ちょっとしたサプライズだった。

この1年の、感謝を伝えたかった。

その道中、寒さの中でこの2年を反芻した。

せっかくなら文字に起こしてみるか、と思いPCをひらいたのが今である。

花は思ってたよりも喜んでくれて、やってよかった。

数字で見る2年

個人開発者の生活は、数字に支配されている。

DAU、MAU、評価、売上、DL数、継続率、購入率、ストアコンバージョン率、ASOの順位、クラッシュ率、人と会話した数...様々な数字が感情を左右する。

一切が自分の責任であると、強烈に感じるからだ。

そんな数字たちの中でも、生活を支えであるサブスク数の推移をみてみよう

私は Apple Store Connect にログインし、2024年1月1日〜2025年12月28日のグラフを表示した

現時点でサブスク数は約2300人。増加してくれているのは、誠に感謝でございます。

ちなみに、グラフをみると、右肩上がりで成功者風に見えるが、そのように感じてない。もちろん生計が立った時は、達成感と多少のイキりを獲得した。ただ冒頭でも申し上げた通り、今は賢者モードである。むしろ実績として公開することすら、躊躇があった。

そして、その中でも特に私の感情が動かされるのは、増加しなかった約6ヶ月である。

まずはこの6ヶ月から振り返っていく

エイヤで始めた

個人開発生活を始める前、当時28歳 フリーランスエンジニアだった。

アプリの売上はサブスク月2万+広告1万、計3万。

30代を目前に、「20代の死」をそばに感じていた。次第に走馬灯のように、20代前半の記憶が蘇った。当時の自分は「自由になりたい」とよくいってた。言い換えると「わがままでいたかった」(「どんな自由であるか」を書くと長くなったので、別で書こ)

あの頃の願望を叶えることができるのは、自分しかいなかった。

妻に、現在の売上、貯金、収入ゼロでも生活できる期間、損切りライン、損切り後の行動、なぜしたいのか、を伝えると、特に議論することもなく「やろう」となった。ならばと、エイヤでやることにした。

少しずつ仕事を減らし、その年の終わりには仕事はゼロになった。

2023年12月31日夜、友人夫婦と一緒に護国神社にお参りした。明日から自分のサービスを育てることだけを考えて生きるのか〜あんま実感ねえな〜、そんなことを考えてた

自分のサービスのみの生活が始まる

2024年01月01日、その日から自分のサービスのみでの生活となった。

朝起きたら、何も用事はない。

誰かに仕事をお願いされることはない。

ミーティングはなく、仕事の通知はない。

カレンダーに、自分の時間を縛るものはない。

気付いた時には、学校があって、宿題があった。

おとなになってからは、仕事があって、会社があった。

生まれてこの方、保育園に入る前以来の自由の中に飛び込んだのである。

そんな日々のスタートである。

私はこれを、大人の夏休みが始まった、と形容していた。

後に、孤独と自分との戦いが始まりだと知った。

何してもアプリが成長しない

損切りラインを設定した、ということは、始める前にマイナスを受け入れたということだった。「ゼロから」ではなく「数百万のマイナス」からスタートしたと考えいてた。

それは、怠惰な自分を必死にさせた。

朝起きて、深夜まで作業する日が数ヶ月続いた。

FirebaseのABテストを覚えた。ひたすらABテスト繰り返した。続ければいつか正解にたどり着くやろ!と楽観的に考えていた。

でも実際には、「統計的に有意ではない結果」が続くだけだった。

何をしても、数字は上向くことはない。朝起きて、一人机に向かう。社会は誰も知らない、誰も気にしてない、何も貢献できてない自分がいて、孤独な活動であった。休日や妻との時間も犠牲にして開発した。

最初はワクワクしていた気持ちが、孤独な時間と共に、少しずつ折られていった。

夜寝る前、不安になった。

暗い天井を見つめて、考え事が止まらなかった。俺はただ時間を浪費していて、この先は何もなく、虚構に向かっているんじゃないか...。

それでも朝は来た。

起きると、なんか体がしんどい。明るい日差しに、重さを感じる。それでも一人、机に向かうしかなかった。

PCを開き、変わらない数字を目にする。

(昨日も、何もなかった。)

少し気分転換しようと外に出る。

コンビニに立ち寄る。スタッフの方がハキハキと働いている。お金を払い商品を受取る。すごいなあ、すごいビジネスやってる、すごい人たちだ、社会すごいな。それに比べて、健康でいながら俺は何してるんだろう...。力が抜けたように家路につき、またPCを開く。画面を見つめる。で、何をしたらいいんだろう。。

当時軽い日報をつけていた。今見るとそこには「不安で開発に手がつかなくなった」「とても苦しい」「妻と喧嘩した」「全部俺の責任」「うおおおおお」「ネコを撮るYouTubeチャンネルを始めたい」「公園でヤバめのキューバ人と2時間話した」など書いてた。

自己規律 is King

くよくよしても仕方がなかった。自分は短期的には悲観的だが、根と長期的には楽観的(だと分析してる)だった。前に進むことを考え続けた。

数ヶ月囚われた「不安」を無視することにした。将来を気にしたところで、何もなかったからだ。それよりも、今一度ゴールと追うべき指標を明確にし、逆算し、「今」に戻り、淡々と続けることにした。

そんな中、「イーロンマスクがタイムブロッキングを使っている」という記事を目にした。タスクごとに事前に固定の時間枠を作り、その時間内はその作業のみ集中する時間管理術だった。求めていたものが、目の前に現れた。

これは自分の仕事の進め方とプライベートに革命を起こした。

Googleカレンダーに、文字通りおはようからおやすみまで予定を入れ、起きたらカレンダー通り淡々とこなした。プライベートの時間も作ることができた。

(※ BED = ベッドメイキング、R1 = ラウンド1、週1でばーちゃんに電話して健康の重要さを説いてもらう。ちなみに今は自分専用のアプリ作り、そっちでやってる)

タイムブロッキングを始めてから、前に進むことだけ考えるようになった。

やる気ない、今日はモチベが...、不安だ、YouTubeが、TikTokが、今日は何するか、今何をするべきか、明日はどうなっているのか、皆は何してるのか...

これら一切の余計な考え事が消え去り、「やるべきこと」だけが残ってるような状態に入れた。おかげで、毎日コンスタントに量をこなすことができた。

20代の最後に、自己規律の重要さを知った。

ところで、僕は受験を頑張らなかった。受験や浪人で頑張った方たちは、この道を10代の最後に通ったのだろうと想像している。

数字が上向き始める

自分のアプリを分析した。特徴、コアユーザーが自分のアプリを選ぶ理由を分析していった。関連する書籍や論文を漁り、アプリに取り入れた。存在意義を自分なりに言語化するようになった。自分のアプリに、一言でその本質を表す存在意義を定義した。

競合のアプリも分析した。私はアプリを「優劣」で見ていたが、存在意義を考えるようになってから「特徴」で見るようになった。各アプリ(自分のも含む)の強みと弱みを言語化するようになった。イケてる海外の個人開発者とそのアプリの分析も始めた。

コツコツを改善を重ねると、7日継続率が開始時 36% → 最大47%まで改善するなど、何か確変が起き始めていた。

ようやく、サブスクの数字が少しだけ動き始めた。生活が変わるほどではなかった。大喜びすることもなかった。でも「上向き始めた」事実が、静かに自信と希望になっていた。今振り返るとそう思う。

生計が立つ

数字が伸びていき、生計が立つラインを突破した。マイナスがゼロになった瞬間だった。

ただその数字を目にした日も、いつものように過ごした。

朝起きる。淡々と前日に決めたタスクをこなす。リリース審査へ提出する。ジムへ行き、重いものを持ち上げる。蔦屋で読書をする。外に出てばーちゃんに電話をかける。「健康が一番よ」何度も聞いたフレーズを聞く。家に帰り、妻と映画を見る。目標だったはずが、通過点のようになっていた。

以降は冒頭のように、時間とともに増加していった(今のところ)

(自己規律 is King は、アメリカの投資の格言である「Cash is King(現金こそ王。有事の際は現金が最も価値を持つ。チャンスに備える。)」から着想した自分の中だけの合言葉にした)

少し調子に乗る

Xアカウントを開設した。

きっかけは、エンジニア仲間のO君が個人開発者のツイートをシェアしてくれたことだった。個人開発者のコミュニティがあることを知った。(ちなみに、O君とは今日までずっと週1でビデオ通話していて、大きな支えになった。仕事の話は少なめで、人生の話をずっとしている。彼は一年中あらゆるところに旅行してたり、その他の活動や存在がおもしろいのだ。今はロシアにいる。)

ゆっくり自分のビジネスアカウントととして育てよう、と考えていたが、思ったよりも反響があった。反応があると楽しくなり、プロダクトを育てるようにXをした。自分のアカウントの存在意義を言語化し、ツイートを考えた。フォロワーを増やす独自のフレームワークを考えたりした。開設から半年ほどでフォロワー2000人になった。

特にサブスク数の成長過程を実況のように公開すると、大きくフォロワーが増加した。売上に関わるツイートは、みんな知りたく、伸びると知った。それから時代背景もあった。AIにより開発の敷居が下がり、個人開発ブームやってきたことも一因だったと思う。

「自己規律を体現する」をアカウントの裏テーマとして掲げていた。対象者は、私と同じく、日々孤独に挑戦する個人開発者とした。このアカウントのタイムラインをスクロールすると、自己規律を感じられるようデザインしたかった。アプリもそうだけど、どこか美を作るのが好きで、それもあって一時期Xにハマった。

起きていいねがたくさん来ていた日は、嬉しかった。孤独な期間が長かったので、承認欲求が満たされた。

少し調子に乗り始めた。俺イケてるんじゃないか、俺は成し遂げたのでは、と。

賢者モード

アカウントを通じて、個人開発者の方と連絡をとるようになった。オフラインでも会うようになった。

いろんなフェーズ・能力の方がいた。専業、副業、駆け出し、つよつよでもはや個人じゃない方...、様々なプロダクト・考えを目にして、耳にした。

自分のこの(一定の)成功を冷静に分析した。

「なぜアプリを伸ばせたのか」

開発力だろうか?デザイン力だろう?自己規律のおかげ?

どれも決定打ではなかった。どうしても周囲との大きな違いはなかった。

そして辿り着いた最もそれらしい仮説は

「7年前に出したことじゃないか...?」

拍子抜けするような結論に達した。

私のアプリは7年前にリリースした。当時は、比較的アプリが少ない時代だった。言えば商品が少ない状態で、棚に並べれば一定売れるのである。集客はASOが大きかった。それから自分の場合は、数年アプリを放置したし、ASOも意図したものではなかった。

たしかに改善を繰り返した。でもそれは、集客があったおかげだ。ではその集客はどこから?ASOからだった。ASOがいいのは何のおかげ?

早くリリースしていたからだ。

7年前の私が打った「点」で、今の自分が生かされていた。その点は、狙ったものじゃなかった。これで食べていくなんて1ミリも考えてなかった。フリーランスエンジニアとしてのポートフォリオ+お小遣い、ぐらいの感覚だった。

始まりの「点」が見えた。今から始めても、同じように軌道に乗ると考えにくいな。急に高揚感が覚めていった。

ただこれは前向きにとらえている。今一度、自分に足りないところが見えたのだから。

プロダクトの成功に再現性を持たせたい

これがおぼろげに浮かんできた次の目標である。

ちゃんと集客できるようになりたい。「ちゃんと」というのは、自分で集客を設計して、運の比率が少なくなってる状態である。自力でゼロからもう一度軌道に乗せたい。それからグローバルの比率も上げたい。グローバルもゼロからみたいなもんだと思う。

終わりに

これを書いてる今日は、2025年12月31日、大晦日である。

毎年恒例で、友人夫婦と家で年越しの食事会をする。サービスのみでの生活はじめたあの前夜のように。

その食事の準備をする必要がある。妻にサラダ作りを頼まれた。急かされている。「あと20分で書き上げる」と宣言してしまった。なので急いで締めている。雑で申し訳ないです。

今振り返ると、妻や友人、O君がいなければ続けてないだろうな。孤独に耐えられなくて。改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

7年前の自分が打った「点」、その次は妻が重要な「点」でした。

次どこが「点」だった、と振り返るでしょうか。

Connecting the dots っぽくなりました