ねこのはなし ①

舎まゆ
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 猫という生き物を飼っている。今や三匹ほどで、家にいる人間より数が多い。

 ブリティッシュショートヘア、ミヌエット、ノルウェージャンフォレストキャット。猫もやはり性格がそれぞれ違う。ヒトに対する接し方も、食の好みも、お気に入りの場所も。

 一番年上の猫であるブリティッシュショートヘアは、気難しい。触られるのを好まず、撫でればやめろと手を押さえ、ブラッシングも爪切りも一苦労だ。その割には寂しがりらしく、よく昼寝をする父の三十センチ離れた場所で、静かにしている。灰色のがっしりとした身体を横たわらせ、金色の眼を不機嫌そうにさせているが、驚くとひどく情けない顔になる。鳴き声も風格に似合わず、やはり情けない。気がつくと床で仰向けになってオッサンのようにくつろいでいる。飯の催促は前脚でちょいちょいとつつくか、頭突き。

 一言でいうと、人間くさい奴だ。

 はじめて猫が我が家に来たのは数年前の二月、節分を少し過ぎた頃だった。車で一時間ほどのショッピングモールにはペットショップがある。ガラスケース越しに私たちと同じような家族連れに見守られながら、ふかふかの子犬がボールに噛みつき、また別の子犬は腹を天に向けて眠りこけている。

 その時は全くもって猫や犬を我が家に招き入れるという気持ちはなく、母のちょっと見てみようよ、という言葉にはいはいと頷きながら明るい店内に足を踏み入れただけの所謂冷やかし、という類いの行為だった。

 猫と犬が壁に埋め込まれたそれぞれの部屋で昼寝をし、見知らぬ客の指に鼻を近づけたりしている。さながらガラス張りのマンションのように見えた。ガラス面にはめいめいの種類、生まれた日、両親の体重、ワクチンの回数がきちんと書かれている。無論、一番大きく書かれているのは値段である。

 ミックス、アメリカンショートヘア、トイプードル、マンチカン。ネットで記事にされがちな飼いたい犬猫ランキングでよく見るような種類の子ども達を眺めつつ

――犬を飼うなら甲斐犬とか、シベリアンハスキーとか、サモエドとかそういう、でっかいのがいいなあ。

 などと、飼いたいなあと思うだけならタダと言わんばかりの想像を繰り広げながら、わたしは母がそろそろ行こう、と飽きるのを待っていた。

「猫、良くない?」

 そう問いかける母に猫はいいねぇ、と返事をする。

 猫はいい。ネコ科はいい。何ならわたしが持つ理想の死因のひとつにユキヒョウに猫パンチをされるという願望がある。

 無駄のない姿形、攻守共に文句なしのしなやかさ、そしてなにより、あの自分本位な生き方がいい。

「この子とかあんた好きそうじゃない。真っ黒は嫌だけど、この子ならいいわよ」

 猫を飼うなら黒いのがいい、と学生の頃に言っていたのを覚えていたらしい家族が指さす一部屋を見ると、そこにはグレーの毛の塊がいた。猫というよりは毛玉と呼ぶのが似合いであろうそれは、情けない顔で視線をうろうろさせている。

 いいわよ、って、何が。と一瞬聞き直しかけて、そしてわたしは察した。

「もしかして買う流れになってる?」

 と質問を変え、父を見た。父も何故その流れになったのか、そしてそれを一度思いとどまらせる事が出来るかといった思案をしながらも、半ば諦めを滲ませていた。

 いつもの事だが急すぎる。思い立ったら海外旅行、数日帰ってこないような家族ではあるが、海外旅行は本人の命だけで済む。しかし、生きた動物となると話は別だ。猫も猫かわいがりするだけでは生きていけない、カリカリを適量与え、おやつも食べ過ぎない程度に制限し、何かあれば病院につれていく。――それを担うのは誰か。

 十中八九、父が六、私が三、母が一である。今までの色々な傾向から、その結論に至るのは容易だった。

「私、猿を飼ってたから猫も買えるわよ」

 けろりとした顔で母が言う。どうやら、わたしの顔が難しい顔になっていたのを見て取ったのだろう。あんたも飼いたいでしょ、猫好きでしょと言ってくる。数年前はひどく渋っていたくせに、今になって乗り気とはどういった了見か。と聞きたくなったが、猫以上に気ままで、奔放すぎる母にとって昔は昔に過ぎない。私は、今、飼いたい。と言った眼差しを向けてくる。

「抱っこしてみますか?」

 親切な店員さんが声をかけてきた。母はにこにこしながら頷き、その灰色の毛玉を抱っこ――と思いきや

「あんた抱っこしてみな」

 と何故か振ってきた。椅子に座らされ、太股の上にふわふわとした、私の両手のひらほどの毛玉が乗せられる。毛玉も見知らぬ人間の太股にのせられさぞ不安だろう、こちらを見上げ、不安げな顔で縋り付いてきた……と言ってもこれは人間側の主観である、登りやすそうな壁に思えたのかもしれないが。

「この猫種はブリティッシュショートヘアという猫種で、猫界のマツコデラックスですね。がっしりとして、風格が出ますよ」

「猫界のマツコデラックス」

 店員さんの言葉を思わず復唱しながら、膝の上の毛玉を見る。これが成長すればマツコデラックス(猫)になる。月曜から夜更かしをしようものなら鋭い一声を浴びせられるに違いない。

「マツコデラックスだって」

 母が楽しそうに笑う。でもこの猫、不細工ねえとそこだけがお気に召さないらしく、別の猫も気になっているようだった。将来のマツコデラックスが逃げ出さないようにしながら、わたしはもう一度父に視線を走らせた。

「こんなんやって」

 どうやら猫種を調べていたらしい。この時点で、あ、これは、と確信しつつ見せられたスマートフォンの画面を見る。ふてぶてしい顔の、恰幅のよい猫。店員さんの言うこともあながち言い過ぎでは無いと頷いてしまうほどに、風格がある。

「それで、どうするの。飼うことになったら多分世話はわたし達になるけど」

「うーん、せやろなあ」

 一度店員さんに膝の上の猫を返しながら、父に問えば、苦笑いを浮かべ、顎を掻いた。

「犬やったら散歩してあげやな可哀想やけど、猫やったら家で飼えるし、なんとかなるやろ」

 かくして、猫を一匹飼うことになった。父の運転する車の乗り心地が不満なのか、それとも仮の住まいがお気に召さないのか、か細い声を上げる箱の横でわたしはケージの置き場所を考えていた。

「名前何にするの?」

 母に問われ、そういえばと我に返った。共通の呼び名が必要である。

 猫には三つの名前があるらしい。

 平凡な名前と少々凝った名前、猫だけが知る言うに言えない唯一の名前。わたしが考えなければいけないのは、我々が毎日呼びかける為の、動物病院の問診票に書くための、平々凡々な、呼びやすく、親しみやすい名前だ。

 これが一番難しいもので、手元のスマホで猫のなんたるかを調べながら、私は少々疲れた頭で考えた。――そして。

「フレディ」

「なんで?」

「フレディ・マーキュリー」

 ブリティッシュショートヘアはその名の通り、イギリス原産の猫である。