遠方に住む友達がいます。その子の話を聞く限り、友達が多そうなので「友達多いよね」と言ったら「いやいや違うの!友達っていうか、これするときはこの人と、ここ行くときはこの人と、って感じだから」と返ってきたのですけども、それを友達と呼ぶのでは?とわたくしは思いました。帰省してきていたとき遊んだけれども、友達用のおみやげと言って6個か7個くらい同じお菓子を買っていたのでやっぱり友達じゃんとも思いました。そうやって知り合いや友達の多い人と、友達のほぼいない人では「友達」の定義が違うのかな、とおみやげを選ぶその子を見ながら思いました。
わたしはすぐに嫌われてしまうので(これはわたしが悪いせいです)、その子との関係が10代の頃から切れずに今まで続いているのが奇跡みたいなものなんだけど、それってたぶん相手が地元を離れて会う機会が年一とか年二になって、関わる機会が減ったおかげだと思っている。あと結構マメな子なのでなにかしらちょこちょこ連絡をくれたりするから。単純にまだ嫌われていないというだけかなという気もするけれど、付き合い自体はもう20年以上なのでよほどのことがなければ切れないかなという気もする。わたしにとって奇跡のような存在だ。それがわたしよりたくさん友達がいて休みごとに遊んだりなんだりして、たぶんわたしがいちばんではないにしても、それでもありがたいと思う。
どうしてすぐ嫌われてしまうのかな。最初にわたしのせいと書きましたが、具体的な自覚はないのです。無意識というか何気なく取る言動のなかに何か他人を不快にさせたり、怒らせたりというのがあるらしいのです。なので自覚ができなくて困るのです。わたしにとっては意識していない歩くとかの延長線上の言動なので、そもそも何をしたのかよくわからない、覚えていないことも多い。最悪の人間みたいなのです。悲しきモンスターです。人間と仲良くなりたいのに、持っているものですぐ人間を傷つけてしまう。どうしてかな。わたしが他人をきちんと大事にできなかったから、その罰なのかもしれない。それともそういう業を背負って生まれてきたのかもしれない。だって本当にどうして嫌われたかわからないのだから。わたしは普通にしていたつもりなんだから、いつだって。もちろん中学生くらいのときはイキって調子に乗ってウザく思われたのだろう、離れていった人もいました。それはきちんと自覚あります。あれはウザいし思い出すと本当に恥ずかしくて転げ回りたい。
首都圏に暮らすふぉろわたち、会おうと思ったらすぐ会えるからうらやましいなとよく思うけれど、わたしがいてもきっと嫌われてしまう気がして怖い。どんなに勇気を出しても、だめ。わたし昔からやる気出せば出すほど空回りして失敗するんです。かといってやる気出さなかったらうまくいくもんもうまくいかんでしょ。ほどほどがいいんだろうけれども、ほどほどってどのくらい?って思っちゃう。どこでどうして、どこでどうしないのがほどほどなんだろ。なにもかも難しいな。恋愛に限らず、好きな人がわたしを好きになってくれるって本当に奇跡だよ。奇跡だからそんなに何度も起こらない。