地球にとっちゃ暦なんて知ったことではないんだろうけども、なにものんびり過ごしている人が多い元旦から大きな災害を起こさなくてもいいと思う。ここのところ地球ちゃんは人類を滅亡させる方向へ舵を切ったのかなと思うようなことばかりだったけど、これはないよ。ね。
東日本大震災のときの津波と深夜の大火事の映像が脳に焼き付いてる。自分が一体何を見ているのかわからなかった。真っ暗な空気を真っ赤に染め上げる一面の火がまるで地獄だった。自分が暮らす国の中でこんなことが起こっているのが信じられなかった。
自然の前で誰もが無力だ。なにもできない。余計なことをしないことが、今いちばん役に立つことなんだろう。祈っても誰にも届かない。なのに祈るしかできないのは、祈ってしまうのはどうしてなんだろう。誰に対する祈りなんだろう。全能の神を信じないわたしの祈りはどこへ向かっているのだろう。なんのための祈りなんだろう。すべて、自分のこころの慰めのためなのかもしれない。人間には祈りという機能が備わっているんだろうか。原始の時代からおそらく祈りという行為は存在したはずだ。雨乞いとか、そういう儀式も祈りのひとつだ。そういうのが機能のひとつとして遺伝子とかに刻み込まれているのかもしれない。人間はどうにもならないことを、どうにもできないことを、無力な自分をただ黙ってみていることに耐えられないのかもしれない。