20年来の友達といまさら初めて喧嘩をした。和解しましたが、本当に性も根も尽き果てました。こんなに疲れることは人付き合いのなかでもないというくらい疲れて、神経がすり減って心が削れてボロボロ。生まれ変わることがあれば親ガチャ成功した顔面の良い都市部で生まれ育って文化度の高いイージーモード人間がいい、とか思ってましたけど、人間とこんな疲れるやり取りが発生するのならもうわたしは人間に生まれ変わりたくなどない。どんな美少女でも美少年でも。
発端はわたしが冗談のつもりでふざけて話していたことが実は相手の地雷に踏み込んでしまっていた、ということでした。途中で気がついてリカバリーを試みたのですが、もうその時点で信頼を失ったのか話を聞き入れてもらえることもなかった。なのであとで嫌な思いをさせたことを謝ろうと声をかけたら、そこから言い合いが発生したという感じです。
わたしが謝れば相手は突き放す、説明をする、釈明をする、謝る、伝わりそうもないのにでも説明しなければ何を謝っているのかも伝わらない。心を、言葉を尽くして、すれ違いをすり合わせていく。神経が擦り減っていく。
だんだん、何の話をしているのかわからなくなっていくんです。正しさと間違いの話なのか、価値観の違いの話なのか、わたしにはその区別をつけるのがとても難しい。わたしは正解を持っていないから、いつも間違えるんです。相手の言っていることをうまく汲み取れないし、聞かれていることとずれた回答をしてしまう。わざとではないのに。正解を知らないくせに浅慮なんでしょうね。
なんだかんだその人とは和解に至って、まあお互いいい大人でもあるので、今は過ぎたこととしていつも通りに戻っていますが、わたしの死にたみはいや増しました。ずっと思っていたんです。どうしてこんな性格も悪い、メンタルや脳みそも壊れている、めんどうくさい、怠惰で甘ったれで何も持ってないつまらない人間とこんなに長く付き合い続けてくれるんだろう。友達はこんだけ長い付き合いなんだから性格もわかってるし、合わないなとか嫌だなと思うことはあっても、いまさら嫌ったりはしないよと言っていたけれども、なんだかわたしは死にたくなった。わたしなんて本当にいなかったほうがよかったと思った。わたしはいつも関わった誰かに嫌な思いをさせている。それを改めて実感してしまった。
せっかく海に行ったのに、そこでもひとりになれず次から次へと人間がやってきて視界の端にちらちら映って話し声や笑い声が聞こえてきて、それから逃れたくて来たのになあと思っているうちに、わたしのように居座って火を熾したりしている人たちも増えてきて、3時間半くらいねばったんですけど、もうだめだなと思って帰りました。行かないよりはよかったけど、あんまり心や呼吸は楽にならなかったな、と思った翌日に人間と喧嘩ですからもうわたしはおしまいを感じる。
少しでも良い方向に行こうとすると裏目に出てしまうね。頑張ろうと気合を入れると空回りするし、じゃあ手を抜けば手を抜いた成果しかでない。なにもうまくできないんだなあ。草でも生やすしかねえな、もう。大人ブロイラーとかヒューマン処理場とかに行きてえよ。いらない人間は処理してくれていい。
いいな。仲良い友達がそばにいていつも遊べて、ふぉろわとも気軽に会うことができて、家族とも関係が悪くなくて、脳みそが壊れてなくて、きちんと正解を持っていて、働いて自分で生きていくことができる人。
障害年金をもらっていることを羨ましがられたりずるいと思われたりすることがあるけど、わたしにしてみれば自分でいろんなことを出来るほうがずっと良いと思います。こんなの症状が良くなったと判断されたら即打ち切りなんだから。こんな年齢になってカウンセングで「やりたいと思ったことが出来たら、どんな小さなことでもいいから次回教えてくださいね」とか言われるような人間よりずっとずっと良いよ。
大丈夫だよ。わたしみたいに本当にゴミみたいな人間はいるんだよ。下を見て安心することも時には必要なこともあるでしょう。わたしを見ればいいよ。