大吉原展でどうも気になった絵。酒井抱一《吉原月次風俗図 六月 富士参り》
描かれているのは麦藁蛇(むぎわらじゃ)。
きれいな絵ならなんぼでも描ける抱一が、吉原を題材に何でこういうの描いたか不思議で調べてみようと思った。
抱一といえば江戸琳派の祖で、いいとこの武家のボンだから良い絵の具を使えた、ぐらいの認識だったけど、この度の調査で
など判明。
「惚れもせず 惚れられもせず 吉原に 酔うて廓(くるわ)の花の下影」(惚れもしないし惚れられもしない。俺はただ吉原で遊んでいるだけさ)なんて↑な立ち位置でこんな狂言詠んでて、なんなの若様、かっけーんだが、惚れてまうやろ。
この時代の遊郭は文化人のサロンのようになっていて蔦屋重三郎とも絡んでたみたいだから、来年の大河もぐっと楽しみになってきたー。
さて肝心の《富士参り》ですが
とある考察によると《吉原月次風俗図》の画題は鑑賞者にウケるオーソドックスな吉原の煌びやかをあえて外し、遊びなれた客の視線で描いたものだとか。
そして、これは「吉原月次俳画図」ともいう分野のもので、まず俳句があって画と句とが「付かず離れず」響き合う「画」作りをしている、そう。
ということで、まず句意を読み解くと
山開きに参詣して帰るひとが、馬の方向を変えて吉原に繰り出そうとするうしろ姿が富士の形に見える
という感じで(ざっくり)、吉原とはひとこともないけど、そういう意味らしい。
次に画の麦藁蛇は、江戸の富士塚(浅間神社・富士神社)で6/1の山開きの日に参詣者に頒布される魔除けの縁起物。
単に季節の風物詩を描いているようだけど、この麦藁蛇は富士参りしてきた客から遊女への土産。
ここで、題と句と画を勘案すると「みんな富士参りとか言って家を出てきてるんだろうけど本当の目的は参詣より吉原詣なんだよ」というのを抱一流に表した、とそんなところでどうでしょう?
結局のところ正解はわからないけど(わからないのよw)前より抱一のこと好きになったし疲れたしひとまずもういいわ。がんばった。