及川徹は天才である

人間
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公開:2024/9/23

 「及川徹は天才ではない」が感動的な言葉としてオタクに語られる現状(53話でこのタイトルが出てからずっとそうだとは思うが)において、及川徹は天才以外の何者でもないだろボケカス目かっぴらいて大した量でもない及川徹の登場シーン及び及川徹に対する言及シーンを見返してこいアホと言ってみたところでそういうオタクは目をかっぴらいて及川徹の登場シーン・言及シーンを読んだ上でこう言っているのだから結論が変わるわけがないことは明白である。ので読み返さなくてもいい。多分作者の古舘春一も及川徹は天才ではないと思ってる。「こんなとこで終わる奴じゃない」と「天才ではない」は併立するからだ。

 あと42巻以降の情報を踏まえて2巻からの描写を見ると天才って思えるけどそこだけだと気付きにくいよね、というのももちろんある。ハイキュー‼︎内に及川徹はトビオやウシワカよりも天才!!!と表現してるコマって存在しないし。

 さて、天才ではないらしい及川徹の出てくるハイキュー‼︎は兎にも角にも没入感の優れた作品であり、読んでいるとない青春の記憶が蘇るとかなんとか、そういう評が多く聞かれる。要はプロパガンダとして非常に優れている作品なのだ。俺たちもバレーボールやったしバレーボールは面白い。ハイキュー‼︎を読むとそれがわかる。特にアドラーズとブラックジャッカルの試合が始まってからのハイキュー‼︎の気持ちよさは一段抜けていて、大量の新情報とそれに呼応する試合展開の応酬に「気持ちええ〜!!!!」と天を仰ぐほかない。その気持ちよさの中で「バレーボールは面白いと証明しよう」などと言われた日には、「バレーボールおもしかったよ!!!」になっちゃうのだ。なった。実際バレーの試合を見たら「おお〜結構わかるかも」「何がスーパープレーなのかは全然わからんな」くらいのテンションで、実はバレーボールの面白さはあんま証明されてなかったのだが、まあでも何個か試合見るとバレーもちゃんと面白かった。ハイキュー‼︎、入口になってくれてありがとうね。まあこれがハイキュー‼︎適性のある読者の感想って言われたら何も言い返せんけど。適性、あったらしいです。

 リアルバレーがおもしかったのはもちろん選手やスタッフのおかげなので別の話として、大事なのは「よくわかってないのにバレーボールは面白いと証明された気分になった」ことの方だ。主題を繰り返しながら没入感が高く気持ちのいい(完成度の高い)画面を見せられると、脳味噌は主題が正しいのだと勘違いする。

 「ハイキュー‼︎はバレーは面白いと言っていて、そんなハイキュー‼︎は漫画として非常に面白い作品である」ではなくて、「ハイキュー‼︎はバレーが面白いことを教えてくれた」になるのだ。本当にプロパガンダとして優れた作品だ。

 ハイキュー‼︎が優れたプロパガンダ作品であるということは、「そう信じ込ませる力が強い作品である」ということでもある。つまり「及川徹は天才ではない」と作中にあれば、我々はそれを信じ込むのだ。しかも「及川徹は天才ではない」って言いやすいし。なんかエモいし。「コート上の王様」とかいうクソダサくて語呂も最悪でごめんけど俺は口に出したくねえわって二つ名(まあこれはそもそも悪口なのでダサくて問題ないが)と比べたとき、「及川徹は天才ではない」の使いやすさは段違いだ。使いやすくて感動的な言葉なら当然使う頻度も高くなるし、頻度が上がれば及川徹が天才でないのは事実だと信じるようにもなるだろう。いや影山飛雄がコート上の王様なのも信じてる人多いけど。王様に関しては天才と違ってどう思っていても特段評価に影響しないためなんでもいい。

 それでどうして及川徹が天才だとわかるのかについてだが、これについては最も簡単な説明は「アルゼンチン代表になってるから」だろう。2024年の戦績はイマイチ振るわなかったが、ハイキュー‼︎連載期間(2012年〜2020年)におけるバレーボールアルゼンチン男子代表は日本代表からすると「めっちゃがんばればワンチャン勝てることもあるかも(基本はまあ勝てませんよね)」くらいの扱いの強豪で、及川徹はそんな強豪国に単身乗り込んで認められたことになる。帰化選手ということは明らかに優れた実力がなければそういう話が出ることもないわけで、そこで帰化の話が来るほどの選手になりその後きちんと代表入りするというのは、そんなこと天才でなければ達成できまい。

 しかもアルゼンチンは白人国家と名高い。白人国家というのは明確に悪口であるが、ともかく白人国家に、184cmの小柄な、ルーツもないアジア人のガキが、学校の留学制度などもおそらく使わずに単身で渡って代表の座を勝ち取っているのだ。この条件でアルゼンチンへ渡った時点で及川は常人ではないし、泥臭い努力の人という評価もちょっとどうかというレベルになっているのだが、その上で帰化選手として代表入りしているのだから目も当てられない。できちゃったことを努力の末に勝ち取ったと言うのは容易いが、他の人が同じ努力をして同じ結果を出せるのか、という部分も考慮に入れるべきだろう。

 そしてそう、努力。ハイキュー‼︎は度々「天才天才って簡単に言うけどあいつらだって努力してんだよ」と強調するが、この「努力」が取り沙汰されやすいのも及川徹の特徴だろう。及川は作品の都合上負けるために勝って負けて(IH予選)、負けるために負けた(春高予選)のだが、負けはしたが及川はすごいやつで、いっぱい努力してんだよと定期的に示されている。努力をしてきた人で、これからも努力を重ねる泥臭いやつなんだよ、と。

 及川は同級生の天才に負け続け、勝つために努力を重ね、そして下級生に天才が来れば追い付かれないためにさらなる努力を重ねる。作中では及川はアンチ天才だし、自分に足りないものの話ばかりしては岩泉に不満げに見つめられている。牛島には負けてばかりだし影山にはいずれ負けるだろうと思っているし、でも勝ちたいから一層努力してやろうと奮起する、そういうキャラクターだ。苦しくなくちゃ努力したってことにならないと思っている節のあるキャラクターでもある。だから及川徹は天才ではない。あるいは「努力の天才」と評するオタクもいる。

 ところで関係ない話であるが、影山飛雄や牛島若利は、多分そんなに「学校のお勉強」が得意なタイプではないだろう。影山は言わずもがなだが、牛島も天然キャラで元から他人とのコミュニケーションがそんなに噛み合っているわけでもないのにシニアに入ってからの悩みに「語学をもっとがんばりたい」と書くくらいだから、いやまあ牛島は多分スポーツコースで高校はおろか中学でもまともに授業受けてないだろうしだからバカってことはないのだが、まあ、お勉強が得意なタイプではないように思う。

 そういう「学校のお勉強」(もちろんこれが不得手ならバカだとかそもそもバカはバカにしていいとかそういうことはない)が苦手っぽい二人と比べたときに、及川徹は学校のお勉強それ自体に苦慮した経験はないように見える。

 人のツイートを見ただけのカスカスの情報で申し訳ないが、なんかだいぶ初期に「及川の成績は平均より上くらい、地頭自体はよくてバレーにばっか集中してないで真面目にやればもっと上」という話が原作者から出ていたようだし、その後のファイナルガイドブックでは青城そのものが「宮城県トップクラスの進学校」になっているので、お勉強が苦手ということはない、てかこの二つの情報組み合わせると爆裂お勉強お得意人間になるんだが、その辺どうなんだろうか。原作者の思う「及川徹って勉強できるキャラだよな〜」の勉強できる度合いは、県内トップクラスの偏差値の学校で地頭の良さだけで平均以上の成績を維持するレベルのもので本当に合っているのか?

 まあそもそも青城が自由な校風の県内トップクラスの新学校という設定自体が端的に間違い(地方のトップ進学校は学費の安い公立だし自由な校風なら及川たちは制服なんか着ずに自前のジャージでうろついている)なので、作者の造詣が浅い部分をどう捉えるかにもなってくるが、「ともかくそういう設定がある」ということに変わりはないので信じることとする。

 さて、スポーツは科学である。より効率的なトレーニングがあり、効率的なフォームがあり、効率的な肉体作りがある。これらには分析がつきものだし、勉強として処理しないといけない部分も多いだろう。漫然と体を動かして時間を浪費するな、考え続けることをやめるな、今何をしているのかきちんと理解して取り組め、と言われて有利なのは影山や牛島よりも及川の方だというのはわかりやすいことだと思う。センスや才能がものを言うのは巨人の肩に登って道を極めたあとになってからであって、とりあえず巨人の肩に立てないことにはそこまで到達できない。別に影山牛島も漫然と体を動かすことはないだろうが、肉体への解像度の高さ、というか解像度を上げねばならないことへの理解に関してはお勉強がお得意な及川徹の方が有利だろうし、いざその手の情報を(本でもネットでも)集めるぞ! となったときにその差はさらに大きくなる。というか影山と牛島はインターネットを見るタイプなのか不安になるが。インターネットで選手の動画見て。動画で止まらないで新書情報探して読んで。がんばって。

 そして人間は「できる」と思えば思うほど理想に近付いていく。それは自分を信じることでもあるが、根拠や前例なしに「できる」と信じるのは難しいかもしれない。だが「できる」と知ってしまえば、それを信じることは飛躍的に容易になるのではないか。ということは、情報を見まくっている人間の方が「これならできる」にたどりつきやすく有利ということになる。45巻で岩泉が小柄な選手の動画を見て勉強していたと言っていたが、その岩泉に夜更かしすんなと注意される及川がそれをしていないことはまずあり得ない。及川は当然調べまくった情報を元に自分のバレーを改善していくだろうし、その改善速度は他の者たちの比ではないだろう。てか「今の子供達はいろんな動画から自分に合ったやり方を探せるしプロのプレーを何度も繰り返し見て勉強できる、だからレベルが高くなってる」みたいなことって上手いところでもそうでもないところでも繰り返し語られているわけで、そういう情報収集と分析の能力が高いというのは強みだろう。

 及川が分析力に優れたキャラクターであることは作中にも描写がある。烏野の神業速攻を伊達工業対烏野戦のDVDを暗い部屋で見て(多分照明を点けてると岩ちゃんに夜更かしがバレる!とかそんな理由で暗くしてるんだろう)(明るくして見なさいよ)神業速攻と普通の速攻の合図があることに気付き、実戦でサクッと確証を得てチームに伝えている。岩泉の態度から及川が恒常的にそういう分析をしているだろうことは示されているし、それは牛島にはないものだ。影山はちょいちょいリビングっぽいところでバレーを見てるのでやってるかもしれない。牛島も描写がないだけでめちゃくちゃ動画漁って参考にしてるタイプかもしれないが。あと影山って「説明、言語化はできないが些細な違和感に気付く力は強く、それを臆さず聞きにいける」部分で頭がいいキャラだよね。及川は多分影山のそういうとこが怖いな〜天才だな〜と思ってるよ。牛島は知らん。多分できん。

 ここで話を努力に戻すが、前述した「できちゃったことを努力の末に勝ち取ったと言うのは容易いが、他の人が同じ努力をして同じ結果を出せるのか、という部分も考慮に入れるべきだ」について、「高い水準の努力ができるかどうか」も判断基準にあると言えるだろう。及川徹は情報収集に余念がなく、得た知識を体に反映させるための練習を労を厭わず継続する。それは及川以外にもできる範囲の努力だ。

 だが及川はその上でお勉強がお得意で、分析・解析の能力も高い。さらに十になるかならぬかの子供の時分に理想の選手に出会い「こうなりたい」の形もはっきりしている。さらにさらになんの実績もないのに「いつかは海外に挑戦することになる」と言うだけの自信もあり、実際それで高校卒業後アルゼンチンに渡る決断をし、そこで生活を成り立たせている。言葉がわからなくて苦労している風な描写で使われていた言語がスペイン語であることから、英語でのコミュニケーション自体はなんとかなっていただろうこともわかる。同じく高校卒業後にブラジルに渡った日向翔陽が「一年念入りに準備」しているが、日向は成績カスカスキャラなので、多分ここで英語とポルトガル語学習に時間を割いている。ということは逆に及川にはそういう時間が不要だったわけだ。アスリートの一年は貴重で、日向が(急がば回れとして必要な一年だったとしても)挑戦を先延ばしにしている間に、及川はさっさと挑戦を始めている。

 それって……それって「努力の天才」なんじゃないですか? ここで言う「努力の天才」は努力を続ける才能とかではなくて、非常に高い水準での努力を成立させる才能のことだ。いや別に及川徹は努力云々ではなく天才なんだけども。でも「それだけの努力ができる」というのは才能だ。中学生の金田一は影山の自主練に最後まで付き合うだけの体力がなかったし、たとえばこれが体が弱くやりすぎると故障に繋がるだとか、健康ではあるが目が見えないとか、そういうハード面の理由でそれだけの努力ができない人は当然いるだろう。今適当言ったけど障害者バレーのことなんも知らんから障害者でも努力できらぁっ! って人がいることもついでに言っておきたい。知らないけど絶対いるよ。てか及川徹だったら障害の有無とか気にせず努力してるし。とまれ体が頑健で努力に耐え得ることを才能と呼ぶなら、努力をより効率的に積むだけの頭があることも才能と呼ばれるべきだ。

 及川は努力の種類と質を選ぶだけの頭があり、さらに良質な努力をこなしていくために必要な頭すらあり、その努力に耐え得る体まで持っていた。これで「誰よりも泥臭く努力していた」と言われたら語学をもっとがんばりたい牛島若利の立つ瀬がない。日本から離れてバレーをするなら語学は当然修めておくスキルのひとつだが、それを習得することに割かねばならない力には個人差がある。及川はその辺省エネでこなしてバレーに集中することができたわけだ。それは泥臭さから遠いところにあると思うが、どうだろうか。どうだろうかってか「高校卒業後海外でクラブチームに所属、活躍」は泥臭い人の経歴じゃないから。東北リーグの大学からしか声がかからず泣く泣く猛勉強の末関東一部リーグの大学に入り四年生でやっと試合に出れるようになりなんとか引っかかった二部リーグの実業団で社業とバレーの両立に喘ぎながら練習を続け一部リーグのチームに自分と同じポジションの選手の募集があったら挑戦しダメでも諦めずにトライアウトも受け長い長い下積みを経て三十すぎてから代表チームに初招集……みたいなのが泥臭い人なんじゃないか? いやこれも一部リーグや代表招集に繋がってる時点でそれもどうなんなのだが。けどさあ、泥臭さを表現したいならせめてドサ周りをしろよ。ドブ板選挙をしろ。田圃に入ってスーツ泥だらけにして他党支持の農家と握手しろ。なに当然のようにアルゼンチン行ってブラジル遠征メンバーに選ばれてるんだ。なんでリオにいるんだよ。帰化して代表ってなんだ。この大成功大天才ルートがよ。

 あとチームメイトから「ニブいぞ」「へたくそ」と声をかけられていることから、遠征に来たメンバーからもうまい選手とみなされていることが伺える。遠征メンバーの中で一番下手なやつにそんなこと言えないだろうし。

 それから、日向に対し「ショーヨーは二年で帰るんだっけ」「俺は全員倒す」と言っているので、この時点で帰化を済ませちゃってる可能性が高い。「ショーヨーは二年で帰るんだっけ(俺はずっといるけど)」だし、「全員倒す」も日本人がほぼいないだろうアルゼンチンリーグにいても達成できない話で、じゃあ日本のVリーグで全員倒すのでは? と思うと日向と同じチームに所属するかもしれない可能性を無視しすぎだ。てか俺はここに二年以上いますけど発言と食い違う。この言い方と最終回で出された設定を見ると、やはりすでに帰化を済ませていると考えた方が辻褄が合う。もちろん作者・古舘春一はこの時点で及川徹の去就をなにひとつ決めていない。ハイキュー‼︎は完結しているので、すべて結果からの逆算である。及川が日本代表に入るエンドだとしたら「二年で帰るんだっけ(俺は来年だけど)」「(Vリーグで宮城出身がいないチームに入って)全員倒す」になってたんだろうなあと思う。アルゼンチン代表になってるからこの読みになる。

 しかしオリンピックイヤーに開催地に遠征に来てる帰化済みの及川徹、絶対に代表メンバーに入ってて嫌になる。及川は日本国籍での国際大会への出場経験は(少なくとも作中での描写は)ないはずで、そうすると帰化して即アルゼンチン代表として国際大会に出場可能だ。東京でのアナウンスでもオリンピック初出場とは言われていないのでない話ではないだろう。バレーボールの楽しさを忘れてんのもアルゼンチン代表として勝つためのバレーやってたらまあ忘れるよな〜という納得があるし。そもそも若干22歳でオリンピックに出るセッター、こいつのどの辺が泥臭いんだ? 27歳で出るのだって若い方だし。あと日向は他国の代表選手も見ときなね。情報収集しっかりね。ワールドリーグとか日本代表が出ない試合は会場が日本でも放送しないし配信も(配信あった?)日本代表の試合しかなくて探すの難しかったと思うけど……。

 あとこれは余談であるが、調べれば調べるほどアルゼンチン国籍の取得条件はゆるゆるガバガバのゆるゆる(アルゼンチン領内に2年以上住んでて生活を成立させられてたら裁判所で「アルゼンチン人やります!」って言ってくれたら国籍あげるよ! 他にも国籍取得ルートはいくつかあるよ!)なので、帰化したこと自体はそんなにすごくない。逆に日本の国籍取得は信じられないほどダルく、めんどくさく、全ての条件を満たし手続きをなんとか済ませても認められない可能性のあるクソシステムだった。国によってそんな違うんだ〜と思った。まあ日本が世界的に見てもやたら厳しくアルゼンチンが世界的に見てもゆるいからなおのことギャップを感じるんだろうが。閑話休題。

 というわけで及川徹は天才である。あった。ありがとうございました。

 

 ……でもさあ、日本には影山飛雄と宮侑がいたわけじゃん? やっぱあの二人には敵わないから国外に活路を見出した感は否めないよね。及川徹はお勉強ができたから日本語圏を離れても成立したのはそうかもしれないけど、影山と宮はわざわざ日本を離れなくても評価されてたわけで。てことは及川は天才と言っても三番手以下だってことにならない? それって手放しで天才って言っていいの?

 と、思う人は絶対いる(てか自分もこれ読んだらそう思うよ)ので、ここの高卒サーブ10セッティング10イケメンセッター三兄弟の比較をしたいんだけど、まあここの優劣は簡単に付く。

 超絶技巧曲芸トスランキングなら影山が天才、次点で宮、及川はランキング外のセッターだ。超絶技巧曲芸トスランキングにおいて、及川徹はこの二人に敵うべくもない。本人もあんなピンポイントで上げられないよと思っているし、実際そうだろう。高校のときはできなかったけど今なら……! みたいなことも多分ない。

 問題なのは、バレーボールにおけるセッターの仕事が超絶技巧曲芸トスを上げることではない部分だ。ブレない正確なトスを上げ続けられるならそれに越したことはないがそれがすべてではないし、絶対に必要なわけでもない。ある程度の正確さはもちろん必要だし、上に行けば行くほど求められる正確さもシビアになっていくが、それでもやっぱりスパイカーの振り下ろす掌ピンポイントに上げるだとか、一番高いところで勢いが死んで止まるとか、そういう正確さは求められてない。てか影山の止まるトスって結局どうなったの? 春高までにやっぱ止まんなくてよくね? になったの? それこそ超絶技巧曲芸トス選手権大会で披露したらそれだけでかなりの高得点狙えると思うんだけど。春高本戦でそんなんしてたら絶対取り沙汰されるし、止まんなくていいよってことになったのかな。

 まあそれは置いておいて、トスの正確性以外にはなにが、となると、それぞれの調子を見てより効果的にスパイカーを使う、ということがまず出るだろう。それから点を取れる場所、取れるスパイカーにトスを上げる判断力。この部分は正直なんもわからんのだが、とりあえず三兄弟で大きな差はないだろう。及川は味方の力を100%引き出すし、宮は「俺のセットで打てんのはポンコツ」と言うくらい打ちやすいトスを上げる。影山は超絶技巧曲芸トスで打たせたり脅迫と書いて信頼と読むよくわからないトスを上げたりしている。なのでやっぱりスパイカーを使う点では大差ないように見える。わかんねえ。実際経験のある人からしたら全然違うのかもしれんけど。

 逆に及川が二人より優れていることはなにかといえば、人格とコミュニケーション能力が挙げられる。ここはもう比べるのがかわいそうなくらいの差だ。影山と宮は性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、俺のトスに合わせろだの俺のトスで打てへんやつはポンコツだの散々な発言をしてはチームメイトと揉めているが、及川にはそれがない。どころか、チームメイトの力を100%引き出すとの評価まである。影山と宮がマイナスに振り切っているところで大きなプラス評価を得ているのだ。

 とはいえ影山は信頼関係や経験の差を補って余りある実力で篤実な菅原を抑えて烏野の正セッターとなっている。宮だって、いくら超絶信頼関係の宮治とのコンビネーションだからと言ってもあの速攻を練習なし、見様見真似で成立させるほどの技術があるのだ。超絶技巧曲芸トスが悪意に満ちた悪口だったとしても、そういうトスが打てるのは強みに違いない。人格とコミュニケーション能力が高いことはそれを超えるほどのことなのだろうか。

 まあ当然超える。バレーボールはボールを持ってはいけないチームスポーツだからだ。ボールを持ってはいけない、落としてもいけない、ついでに連続でボールに触ってもいけない。そういうルールの中で強いチームであるためには連携や協力が不可欠になる。そのためにはチームメイト同士の間にわだかまりはないほうがいい。スパイカーには「この人が上げるなら大丈夫だ」と思って飛んでもらったほうがいいし、さらに苦しい場面でも「このチームのためなら!」と力を振り絞ってもらえるならそれに越したことはない。影山と宮には、基本的にその魅力はない。そういった魅力がなくとも成立する「天才」が、影山と宮だ。

 一方及川はチームメイトと良好な関係であることが大前提のキャラクターだ。何かにつけてポジティブな声かけをするし、チームメイトのことをよく見ている。青葉城西は部外者から見ても空気がいいことがわかるチームで、なにかあれば試合中でもうまいこと話す時間を作っている。秘めた実力を引き出すのもすごいが、選手全員がリラックスして試合に臨めているのもすごい。100%の力を発揮するためには精神状態も重要ではあるが、実際にそれをやることは相当難しいだろう。及川はそれをチームの完成度を上げるものとしてやっているから、影山・宮の超絶技巧の代わりにそれができる、ということだろう。ハイキュー‼︎には他にもそういうコミュニケーションに長けチームの空気を良好に保つセッターはいるが、基本的に存在感が薄いので及川が代表格になっている。全国出ただけの常波とは言え(全国出てるんだから常波ではねえだろ)越後栄とかもっと取り沙汰されてもいいと思うんだけど。飯綱掌のプレースタイルも知りてえしよ。それこそ烏飼繋心の試合も見てみたかったもんな。セッター三兄弟(と孤爪)ばっか目立ってて悲しいよな。な! 黄金川! あと赤葦ってどんなセットしてたか思い出せないんだけどエースを乗せるあの感じからするといいセッターなんだろうな……て思います。下手なわけないし。

 まあセッターキャラの作中における露出の多寡はどうでもいいとして、どうして関係を保つ技術やコミュニケーション能力が超絶技巧よりも重要かという話になるが、これも単純な話で、「スパイカーにも技術がある」ことを無視できないからだ。まず、及川、影山、宮はナショナルチームでプレーするような選手で、必然的にナショナルチームに呼ばれるようなスパイカーたちもそこにいる。クラブチームにしてもレベルが低いということはないだろう。であれば、セッターひとりの技術が頭抜けていてスパイカーたちは通常通りのチームと、セッターがスパイカーたちの調子を上げるチームのどちらの方ができることが増えるかというのは明確である。攻めたプレーをすること、その結果失敗しても責められないこと、他の誰かが積極的にフォローに回ってくれること、これらが好循環を維持するチームは緊張や焦りによるミスが少ないし、ミスをしても引きずらない。スパイカーにも技術があるならば、リラックスした状態を保てた方が、その技術を発揮しやすくなるだろう。そういう状態を自ら作り出せるのが及川で、他人に作ってもらうかそもそもそれらがない状態でやっていくのが影山や宮だ。

 そして、スパイカーに技術があることでもうひとつ重要なことがある。優れたスパイカーは、下手なトスでも打てるということだ。もちろん下手なトスばかりでは話にならない。ならないが、及川のトスは別に下手ではない。影山や宮の精密度には及ばないだけで、必要とされる水準には当然達している。雑な話になるが、影山や宮が3Pラインからバスケットボールのゴールに球を入れる技術があるとして、求められているのがバックボードやゴールリングに球をぶつけることだとしたらどうだろうか。とにかく当たればいいときにシュートを決めるのは、そりゃ技術的にはすごいだろうがそれ以外の部分ができた上でそこを磨いているんですよね? と言いたくはならないだろうか。感情の出力がおしまいなせいでスパイカーに敬遠されることがデメリットとして認識されないなら、まあ、それでいいのかもしれないが。

 というわけで、及川と影山、宮の間のコミュニケーション能力によるチームメイトへの影響の差は大きく、技術力の差による影響差はさほど大きくならないと言って差し支えないだろう。となると同じチームに入るなら及川の方が強いチームになる話になるし、それなら及川を天才扱いしてもいいはずだ。

 あと及川の天才性の根拠として日本代表チーム対アルゼンチン代表チームのゲーム見て目立たん仕事人に注目してるとこ(ナショナリズムの希薄さも去ることながら小学生にしてバレーボールを見る目が肥えすぎてる。頭がいいとかそういう話じゃないだろ)とかを上げようと思ったが、影山と宮が同じ試合見てても同様にホセ・ブランコに惚れ込んでたかもしれないので割愛する。「打たしたる!」をかっこええと思った宮もだいぶすごいと思います。一番ボール触れるポジションを選んだ影山はかわいいね。

 そういうわけで及川徹は天才です。よろしく。

 さて、この文章はここまで「及川徹、天才!」しか言ってこなかったが、なら「及川徹、天才!」が詩情のある言葉かというとそうでもない。むしろハイキュー‼︎は徹底して「天才」を不名誉なレッテルとして扱っている。初期の初期では影山と西谷が天才として扱われているが、及川徹は天才ではないのあたりから「天才って言葉はあるけど天才じゃない方がすごいよねぇ……」の空気が漂い始める。こんなに追い詰められて努力しているけれど及川は天才にはなれなくて、でも努力によって培った実力で影山を倒す。それは単に天才であるよりも感動的なことだ。少なくともハイキュー‼︎はそういうスタンスの作品である。

 ただ、「及川徹は天才ではない」自体は入畑監督によるぼんやり評価であることは留意しておいた方がいいだろう。17巻で「俺は及川を高評価しているつもりが見くびっていたのかもしれない」とあることから、入畑には天才は天才として認める気持ちがあることがわかる。入畑にとって及川はきっと、不断の努力を重ね、技術的にも洗練された(奇抜ではない)教科書的な安定感があり、訳のわからないことを始めたりはしない優秀な選手だったのだろう。人々の耳目を集めるのはその容姿ゆえであって天才と評するほどのなにかはない、と思っていたのかもしれない。入畑はそういう「優等ではあるが天才ではない」及川を天才・影山飛雄よりも優れたセッターとして高く評価していたのだから、「天才ではない」と評したことを「見くびっていたのかも」と思い返すなら、それは「天才」を不名誉だと思っていない根拠になる。

 あとこの辺をアニメや舞台では岩泉が言っているのだが、原作での岩泉は及川のことを天才と呼ぶこともなければ及川が影山のなににそんなに脅威を感じているかも全然わからないキャラクターをやっている。及川がトス回しでは敵わないとこぼすたび、いやだって見りゃわかんだろ影山なんか及川の足元にも及ばねえよ、それなのにあのグズ川はいつまでもグズグズグズグズ勝てねえ勝てねえって御託並べてよお、勘違いすんなよもう勝ってんだよボゲ! くらいのノリで及川を睨みつけている。そこには及川が天才かどうかとかそういうことは一切なくて、単純に「及川は影山より上」という確信があるだけだ。7巻回想で及川の発言に激昂したのも、自分が及川と共に戦う気でいるのを蔑ろにされたからではないか。セリフでは「バレーはコートに6人」とあるし、その気持ちに嘘はないだろうが、そうでなくても俺はお前の隣に立ってるだろうがという思いがないことはないだろう。岩泉は及川のためのキャラクターだから当然及川の味方であり続けるしそうすることが岩泉に定められた役割ではあるが、原作の岩泉はとにかく及川の実力を信じている。

 ところで、ハイキュー‼︎32巻に宮侑と影山飛雄を指して「天才ってやつか」「俺も才能欲しいわ」とモブが発言したことを受けて北信介が長々と天才論を語る場面がある。ここはハイキュー‼︎の中でも名場面として選ばれることが多い。北の2ページ半にわたる長台詞を要約すると「他人に対して理由もなく最初から優秀なんて失礼なことを考えるもんじゃない」というような感じだろうか。その後で「バケモン」と言葉を変えて来るのにはなんなんだよと思うし、「最初から俺とは出来が違うなんて失礼なことを考えるな」なんて言いながら、バケモンなら使っていいような流れにしたらさっきまで振るっていた熱弁も無に帰すのではないかとも思うのだが、まあ何ページか後にひっくり返されるとしても北が宮のために熱弁を振るったことは取り消されないからいいのだろう。

 北の熱弁が「天才の解体」として有名だが、ハイキュー‼︎にはこのような、優秀な選手も人なんですと言いたそうな場面は他にもある。21巻で大平獅音は牛島について、「確かに若利は化物か怪物か。でも俺たちにとって一番しっくりくる呼び名は“超バレー馬鹿”だよ」と述べている。おもしろいことに21巻ではまだ化物も怪物も悪口のうちなのだ。ここでは大平は自分は牛島のことが好きだし、あいつは最初から優秀とかではなくバレーが大好きでこうなってるんだよとも言ってくれる。そして牛島があれほどの実力を持てたことに対して才能を云々する気もない。

 さらに、38巻では天才キャラの影山までもがその対象となる。「すげえやつだけど最初からそうだったわけじゃなくて、ずっと、俺がバレーなんか見たこともない頃からずっとやってる」と日向に言われる。影山がこの言種をされるなら、ハイキュー‼︎はもう天才を悪口として忌避していると言ってしまってもいいだろう。ハイキュー‼︎における天才とは、たいした努力をしなくても結果が出せる、競技を愛していなくても、夢中になっていなくても、愛して夢中で努力してきた連中を薙ぎ倒せるような、そんな理不尽な存在なのだ。だから身長だけは才能であり続ける。身長は努力でどうこうできないものだからだ。

 そして身長は才能だからこそ、2mキャラは二人しかいないし二人とも高校からバレーを始めた初心者だ。そして全国三大エース、そして五本の指に入る残り二人も、189.5㎝、188.3㎝、189㎝、185.3㎝、184.7㎝とコンパクトにまとまっているってか尾白アランさん及川徹と身長大差ない(0.4㎝差)の? 小さすぎない? モンジェネってちいこちいこちいこすぎる。才能ないのに頑張ってるって言いたくて仕方ないんだなハイキュー‼︎って……。シニアリーグ行った選手はやたら伸びてるけどそれでも192.7㎝の牛島が5人の中で一番でっかくて尾白は186.6㎝止まりだし。影山が尾白よりデカくなってるのもよくわかんねえし。

 話を天才に戻すが、以上のことからハイキュー‼︎における天才とは「最初から(努力なんかしなくても)優秀」な人間を指すと言えるだろう。そうすると、「及川徹は天才ではない」にもうひとつ、影山飛雄に対する他者化と無理解が含まれていることが見えてくる。及川は影山を天才と評することに躊躇がなかった。岩泉はそもそも影山に興味がない。及川が影山を天才と呼んで憚らないとき、そこには「影山は理由なく最初から優秀な選手だ」という拒絶がある。影山飛雄は天才で自分とは違う存在だと及川は言うし、岩泉は影山に興味がないから及川の言い分を丸々引用した上で「でも及川は努力を重ねてここまできてるし実際選手としては明らかに及川のが優秀じゃんよ」と思っている。そして岩泉は及川には関心があるので、思っていても及川が喜ばないことを迂闊に口にはしない。だから岩泉が「及川徹は天才ではない」と言うとき、それは及川に対する寄り添いと努力の肯定に満ちた言葉になる。

 だからこそオタクも「及川徹は天才ではない」と言ってやりたくなるのではないか。岩泉とともに、及川の人生を肯定するために。

@yamada_yama
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