今ほど、ぼんやりXで情報収集をしていたところ、「ティロリミックス」と言う創作プロジェクトの存在を知った。
どうやら新進気鋭のアーティストの楽曲を二つ掛け合わせて一つのミュージックビデオを作ろう、という試みらしい。マクドナルドの公式コマーシャルとして発足したプロジェクトであるようだ。
とりあえず見ていただけると良いかと思うんだけれど、ミュージシャンを夢見ているらしい主人公が動画サイトに投稿した作品にいいねがつかず苦しむ、と言う、なんとも現代的なストーリーになっている。
まあそこは手堅く共感をとりに行ったなと思うところだが、主人公の少年がありもしない周囲の眼差しに怯え、次第に心を病んでいき周囲から責められる妄想を抱くようになる、と言う筋書きが非常にリアルだなと思った。現代において何らかの発信をSNSなりで行なっている人間であれば、少なからず覚えのある感覚なのではないだろうか。
そこを、挿入歌であるYOASOBIの「群青」は歌い上げる。
「好きなものを好きだと言う。怖くてたまらないけど」
「何枚でも、ほら何枚でも、自信がないから描いてきたんだよ」
「何回でも、ほら何回でも。積み上げてきたことが武器になる」
「好きなものと向き合うことで触れた小さな光」
「大丈夫、行こう。あとは楽しむだけだ」
私はこの歌詞を受けて、非常に勇気が出た。涙が出そうになった。
そう、私たちのやっていることは、一つ一つはとても小さくわずかな歩みでしかない。一枚一枚、描き上げるごとに一歩一歩ジリジリと亀の如く歩を進める。その姿は一見泥臭く、地味で、ともすればダサく見えるであろう。
しかしだからなんだ。それが作り上げると言うことだ。
何もかもすっ飛ばしていきなりてっぺんに到達する人なんていない。皆、考えるのも嫌になるほどの枚数をコツコツと重ね、地味で面倒臭い努力を積み上げていってようやく星に手がかかる。
描き続けてきた枚数は、年数は、私たちの誇りだ。それこそが遠い未来で自分の足場となり、自信となってくれる。
こんな先の見えない努力をして馬鹿みたい、なんて言う人間には言わせたいように言わせておけばいい。上等だ。私たちの努力の価値は、他でもない私たちがよく知っている。誰に蔑まれようともその価値が揺らぐことはない。そして、積み上げない人間に成功が訪れることも決してないのだ。
その一枚一枚、一筆一筆が私たちの血となり肉となり骨となる。
大丈夫、あとは楽しむだけだ。だよね。