このところひどく好調で、一日三枚も四枚も仕上げてはミスキーにあげていたが、今日はとりあえず中休みにするかと二枚描き終えたところで筆を置いた。で、残り半日はインプットに充てるべえ、とピンタレストを開いたわけだが、そこで目にしたいいイラストたちに惚れ惚れとする。
そのうちの一枚が特に良かったので、添付されていたXのURLからご本人のアカウントを見に行ったのがよくなかった。彼のイラストはどれも数千からのリポストと、数万のいいねを得ていたのである。
懐かしい衝動が自分の中に燃え上がった。自分もこれくらいの承認を得てみたい、得られるだけの実力があるんじゃないか??? 私だって誰かに、ここまで創作物を必要とされたい。
この感覚は、Xで、そしてその前身であるMixiで絵を描いていた際、ずっと心の中に燻っていたもので、最近ミスキーに移って以降比較的なりを収めていた感情だった。皆穏やかに自分の描きたいものを思いっきり表現する空間に恵まれ、そこで自分ものどかな空気を胸いっぱい吸い込みながら創作をやることで、もうこの感情は克服したと思っていた。だから、また再びほのかな承認欲求に焼かれて、ああ、まだ私は不特定多数に必要とされたいという気持ちから、逃れられていないのだ、と痛感した。
しかし、だから何だという話である。私が不特定多数に必要とされたいと思うことと、実際に不特定多数が私を必要としてくれるかどうかという問題は全く別の話だ。需要があるから供給が盛り上がる、しかしその逆はない。供給過多になれば需要は自然と落ち込んでいく。それは経済というものの普遍的な性質であり、人間が人間同士のネットワーク、社会で生きていく上で変えられない節理である。
私が私の描きたいものを好きに描き散らしている限り、彼らのように数千、数万人の承認を得る可能性は万に一つもないということだ。
だからと言って今更、あの需要に合わせねば、大衆にウケる絵を描かねばとあくせく奔走していた死ぬほど苦しい自我の世界に舞い戻る気力はもうない。何よりも、私はこの半年ほど、非常に幸福であった。
自分の好きなものを思いっきり描き、多くはないもののそこそこの承認を得て、挑戦もそれなりに続け一定の成果を出してきた。これ以上を望めば、私はまた得る分だけより多くのものを失う。
そんなことを考えてとりあえずXに舞い戻りたい気持ちを宥めた。
ぶっちゃけ、もう創作で天下を獲る、みたいな思想は時代遅れだと思う。創作をやる人間がこの何年か一気に増えた結果、創作界、ひいては二次創作界もとっくにレッドオーシャン化しており、新人が入り込める隙はもはやない。
これからの時代は、人が人らしくあるために、自分の内面を見つめ直すために創作をやる、表現としての創作飽和社会に移行していくと思っている。その世界で、承認欲求を拗らせたままの人間は沈んでいくのみである。
今は、ただ淡々と自分の世界を打ち続けよう。それが大きな波を起こさなくても、私はただ何人かが私の世界を認めてくれればそれでいい。
この当て所ない精神の空腹を埋めるために必要なのは、承認ではない。ただただ自分を必要としてくれるほんの数人の存在だと思うから。