生まれつきあらゆることがどうでもいいのだ

山田 唄
·

 かねてより「自分はあらゆることに対する欲求が薄い」ということを語ってきたが、しかして私にも食欲・睡眠欲・性欲・などなどの欲求は存在しているし、それらを解消する手間に迫られながら生きている。

 ではなぜこんなにもいろんなことに対して意欲が湧かないのだろうと常々考えていたが、どうやら私は、欲が少ないというよりはあらゆることに関する「関心」が弱いらしい。つまり、自分も含め人間という種、生きること、食べること、侵すこと、その他あらゆることにあまり興味がないのだ。

 元々の私(小中学生くらいの私)は特にその傾向が顕著で、全く主体性というものがなく他人から命じられることをそのまま諾々と遂行するタイプの人形のような生き物であった。それが高じて「苦手意識」みたいなものを持つにも至らず、いまだに食物の好き嫌いや他人に対する嫌悪感みたいなものもかなり微弱である。そもそも関心がないので、良し悪しや好き嫌いを判断できないしこの食べ物好きだな、となってもある程度食べ続けると飽きてしまう。

 そんな感じで生きていたのでその頃の記憶はひどくぼんやりとしている。断片的に強く記憶に残っている出来事(主に失敗と挫折である)はあるのだが、それすらも夢の中の出来事のようにぼうっと霞んでいる。まるで小説の中に出てきたワンシーンのような不透明感。

 そう、私はずっと、物語の中の世界を生きているかのような非現実感に苛まれていた。思えばそれも、現実世界というものに興味や執着がほとんどなかったからなのであろう。

 関心が薄いので、なんでもとりあえず受け入れて様子を見る癖があるのだが、このところはしばらく人と付き合ったり同じものを食べ続けたり、似たような作業を繰り返したりしていると徐々に「あっ、これ嫌だ」「これ、やっぱり好きだな」みたいな感情を覚えるということが少しずつではあるが増えてきた。

 例えば現在私は頻繁に女の子イラストを描いているが、ごく最近まで女の子の何がいいのか分からずにそれを描き続けていた。むしろぶりぶりとした性癖とやらに刺さる媚びた女の子像を苦手としていたし、そんな人間の描く女の子なものだから「可愛い女の子」が好きな層にはちっとも刺さらず、モンスターイラストや鎧の兵士みたいなものを描いている人たちと主に交流を持っていた。

 で、まあ十年近くかけて少しずつ少しずつ、他人の性癖というものを咀嚼し、吟味し、自分の中でその味を転がしてみて、現在ようやく「自分はこういう女の子像が好きなのかもしれない」みたいな感覚が身につき始めている次第である。

 二十年以上絵ばかり描いてきたので、他の物事に対する掘り下げは全然進んでいない。まあ、絵を描きながらSNSにそれを投稿し続けていた生活のおかげで、SNSを通じて入ってくる情報にはある程度聡くなった。しかして現在も、いろんなジャンルの作品を特にこだわりなくなんでも見るし、むしろ人の性癖がまろび出ているような「濃い」作品はいまだウエッとなりがちである。

 より深刻なのが世の中や人間というものに対する興味はさほど育っていない点で、「物語の登場人物」を掘り下げる発言を度々目にしてきたおかげである程度「今この人はこう思っているのかな」という予測が立てられるようにはなってきたが、その気持ちに共感や嫌悪や好感を抱くことはまずない。そもそも他人や自分に興味がないので、人間というものを「おとぎ話に出てくるちょっとした精霊」みたいな感触で眺めている節がある。

 結局、小さい頃から蓄積してきた経験が足りないのだろうなあ、という感想だ。様々な物事に関心を持って触れてこなかったので、そこから「学び」がほとんどなかったのである。やろうと思えばある程度のことが自在にできてしまう地の能力の高さも災いした。

 まあそんなようなわけで、今の私のインナーチャイルドはようやく小学校低学年くらいの歳に差し掛かったあたりである。「自分と他人」というものを朧げに分けて認知できるようになり、手探りで「こういうことしたら気持ちいのかな」「こういう言動を続けると怒られそう」みたいなことを確かめている段階だ。

 すでに体の方は三十中盤のおじさんなので、早めに精神年齢も重ねねばならんなと思っている。なんとか真っ当な人間になっていきたいですね。

 そんなことを言いつつ本日もそろそろ寝ます。おやすみ〜〜。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。