漫画「ダンジョン飯」が完結したので先日から読み返している。話の中盤、ダンジョンの主である狂乱の魔術師に襲われてあわや死にかけ、他のパーティメンバーを騙してでもなんとか地上に逃げ帰ろうとするチルチャック(登場人物の一人)に、オークの娘が「(他のメンバーを)死なせたくないと素直に言えばいい」と諭す場面で、相変わらずうるっとくる。
仲間を死なせたくない、失いたくない。彼がその思いを自覚して目を丸くするところで、ああ、となるのである。私はあらゆる根源的欲求が微弱であるためか、今まで「大切な人」というものに恵まれたことがほとんどない。独占欲というものがまず仄かにしか存在しないので、特定の人間を深く愛し、手元に長く置いておく、という状態に至らなかった。
ひとえに、大事だと思えた人を大切にしておく術を知らなかったと言える。
過去にお付き合いするに至った年上の女性のことも大切にできず怒らせてばかりだったし、それ以前にもこちらから好意を寄せた人たちのこともなぜか怒らせてしまう。特別な感情を寄せるならば当然特別な扱いをしてくれるだろう、という相手の期待を、いつもいつも裏切ってしまっていたのだと思う。
まあ、不器用だったわけだ。自分の感情を長らくないものとして扱ってきたせいで、僕はこんなにあなたを想っているんです!!! という愛情表現すらもうまく出来なかったし、一緒にいてもついそっけない態度をとってしまう。
そんなわけでいろんな人と親密な状態になる割に、恋人、という関係まで至ったのは今までその一度だけであるし、その一度ですらも失敗して三年恋人としてお付き合いしたあたりで破局した。
自分には人を大切にすることが出来ないのではないだろうか、と悩んだ。当時は自分に何が欠けているのかガチでわからなかったので、なぜこんなにも好きになった相手を次々と怒らせてしまうのか、その原因もわからず右往左往していた。女性相手でなくても、親密になった同性の友人のこともしょっちゅう嫌な気分にさせてしまっていたし、根本人付き合いというものが下手くそだったと思う。
で、まあ感情のアウトプットの仕方を大人になってから勉強し直して今があるわけである。人と付き合う上で、相手に抱いている感情を腹の底に溜め込まず、適度にアウトプットして表明することが大事である、と学んだ。私はあなたのことをこんなふうに思っていますよ!! という前提を共有することで、お互いの意思疎通がスムーズになるし、相手も安心する。
本来的にこのような人付き合いのノウハウは、幼少期に身につけてしまう人が大半なのだと思う。まあ、ずいぶん遠回りしたなという感想だ。
で、結果どうなったかというと、現在私の周りには私を慕ってくれているらしい人たちがたくさんいる。彼ら彼女らとお互いに「あなたのことが好き!」と言い合える間柄はとても温かくて、心地よくて、この三十年来の苦しかった人生が綺麗に報われる思いだ。
そして、今また私の中で特別だと思える人が現れた。
私は、弱くなったと思う。誰にも感情を打ち明けず、頼らずに生きてきた半生に比べ、弱点と言える人も嫌われたくない人も大量に出来た。私にも失いたくない人が出来てしまったのである。
この暖かさが、心強くもあり、また恐ろしくもある。
ああ、嫌われたくない…。