おしゃけを飲んで悪酔いしている。この際だから、というか酔っている時くらいしか本音を吐けないから、ちゃんと自分の置かれている現状と向き合う記事を残しておこうと思う。
私はこのところひどく幸せになった。イラストをSNSやブログに投稿すれば、いろんな人が反応をつけたり好意的な感想をくれる。ちょっと気持ちが腐って、その思いを呟けば何人かが必ず慰めてくれる。ふぉろわっさんたちにイラストの感想などをリプすると、非常に喜んでくれた上で感謝される。
しかし、そのどれも自分が本当に受けるべき幸福ではない気がしている。
そもそもこのところ、イラストを描くにも自分だけの実力ではなく、かなりの部分資料に頼り切った作画の仕方をしている。もちろん資料を丸写ししているわけではないけれど、それに近い状況だ。こんなものに褒め言葉をもらったところで、それは資料の完成度に向けられるべき言葉で私に対する正当な評価ではない。
私が落ち込んだ時にもらえる慰めの言葉にしてもそうだ。彼らは普段彼らに足繁くリプを送る私だからこそそれらの言葉をかけてくれるのである。決して私が根っからの善人であるからだとか、私を心から慕っているからとかいう理由でリプをくれるわけではないと思う。同様のことが彼らに感想リプを送った際の反応に対しても言える。私が彼らを慮る態度をとっているから、彼らも私を慮ってくれているだけであり、それは私自身の魅力であったり生来の善性からくる恩恵ではない。
私は常に自分の生得的な能力を超える評価を得ている。ズルをしている。評価が欲しいから身の回りの人間たちに擦り寄って、その態度によって評価の底上げをしている。
そんな自分の態度を鑑みるに、この幸福は全然自分のものではないし、本来私以外の人間に与えられていたはずの幸福を奪い取っているに過ぎないのだという思考がたびたび頭をよぎるようになった。勘違いではないと思う。私はズルをしてそれらの幸福を感受しており、その幸福は本来、私が得るべきものではないのだ。
その後悔と後ろめたさが常に頭の中をぐるぐる回っていて、このところどんなに幸福を得ても「でも…」「結局…」と思ってしまう。こんなことでは本当に幸福を喜べるわけもなく、人様からの気遣いを手にすればするほど自分の犯した罪が浮き彫りになるという逆説的な道を延々辿っている。
この罪から逃れる方法は一つしかない。現在得ている幸福は自分の本来的に得るべき幸福ではないと認め、資料を参考にするのをやめて他人をおもねる態度を計算するのもやめ、本当に自分に向けられるべき好意だけを拾うようにすること。しかし、今まで得ていた幸福をそのまま感受できなくなることがただただ恐ろしく、そうなってしまえばまたあの頃の苦しく、ひたすら孤独な日々を繰り返すことになるのが目に見えている。
それが怖い。せっかく手にした幸福を、それが仮初のものであるとはいえ手放すのが惜しい。
それでもこのままではいけないとずっと考えている。人間には、その努力と実力に等しいリターンが平等に与えられるべきである。私は今明らかに自分の身の丈に合わないリターンを得ている。これは、それらが本来与えられるべき人たちから奪い取った幸福である。
本当にプライドがあるならば、このままでいいはずがない。何よりも私自身が気持ちよくない。後ろめたさを抱えたままズブズブと沈んでいく前に、この状況を脱しなければいけない。
怖いけれど、きっとこのままだと近いうちに死ぬより恐ろしい事態を招くんだよな。それでもいい、と思ってしまう化け物に身をやつす前に、まともな人間の生き方を思い出さなければ。
私に理性があるうちに。