今ほどお絵描きの息抜きにnote(ブログ系サイト)をダラダラ見て回っていたところ、「文章で稼ぎたい!!!」という趣旨の記事が目に止まった。しかしてその記事をよくよく読んでみると、どうやら「自分には文章しか売り物にできるものがないから、書くのは別に好きじゃないけれど仕方なく文章を売りに出すのを選んだ」という人であるらしい。
こういう人、増えてるよなあ、と我が身を振り返っても思った。私自身も別にイラストという表現形態が格別好きというわけではないが、自分が持ち得ている能力のうち比較的金に結びつきやすそうなのがそれであるからとりあえずその技能を伸ばすことに専念している、という形である。
つまり、その人や私にとっての優先順位は「金>>>>創作」なのである。これでは結局ファンもつかないだろうし一時もてはやされて多少なり稼げることはあっても、新規のファンが寄り付かずどこかで方針転換を迫られるよな、と他人事のように思ってしまった。
金が何より好きな人の周りに集まってくるのは、同じように金儲けが好きな人たちである。そうした人たちは自分の利益になることにしか基本手を出さないし、結果「将来的な商材に対する投資として」その人や私にお金を落としてくれることはあっても、その出費が回収できないと判断されれば一瞬で尻尾切りされる。要するに彼らが好きなのは金儲けであって、その人や私ではないのである。
これでは持続的な収入源にはならないし、何よりも活動の方針が「金儲け」に限定されてしまう。金儲けに必死になっている金の亡者!!!! というキャラクター性を維持しなければ途端に見切りをつけられるのである。彼らがその人や私にお金を落としてくれるのは自分と同じように金儲けに必死な私たちを利用したいから、なのだから。
なお、ここまでのことを書いておいて何だが私にとっての一番は金儲けではない。絵を描く以外の金儲けの仕方がさしあたって思いつかないからこの道を選んだ、というのは事実であるが、そこはもうちょっと差し迫っていて、マジで絵を描くことと文章を書くこと以外に一切の適性がないのだ。不器用を拗らせすぎていて真っ当な方法では他人と関わることすらできないし、結果サブカルの知識を大量に仕入れて「サブカルに詳しいオタク」に擬態することでなんとか人間関係を築いてきた。
金儲けが好きだから自分が最も稼げる方法で商売をする、ということと、他に金を稼げる方法がないから自分ができるたった一つのことで勝負することを強いられている、ということとでは、割と雲泥の差がある。何よりもマジで背水の陣を敷かれているかどうかという早急性においてである。
現代において、イラストレーターやライターなんかのクリエティブ系の職業が割ともてはやされているのは、「自由になる時間が多そう(誤解)」「自分の好きなことをやって生きていけそう(誤解)」「一発当てれば一生楽に暮らしていけそう(誤解)」という誤解まみれのイメージからきている。実際には人並み以上に働かなければ生活を維持できないし、仕事となれば当たり前のようにやりたくない作業もこなさなければいけない。一発当てられる人というのがそもそも全体の数%であり、多くのクリエイターは二足の草鞋を履いたり共働きや実家暮らしでなんとか生活を維持している。
では、そんな苦境に立たされてもなお彼らがクリエイター以外の道を見出さないのはなぜかといえば、一番には「作ることが好き」だからであろう。
好きなことを仕事にするのは基本的に苦しい。しかし、そこを押しても作ること以外をやっていたくない、一秒でも長くもの作りに携わっていたい、と思うから、ある意味消去法で彼らはクリエイターという職業を選ぶのである。私の場合も割とこれに近い。数ある潤沢な選択肢の中から創作を選んでいるのでなく、創作しか選べない人間がクリエイターになる。そうじゃない人間は割と早期に脱落していくものだと思う。
まあつまりは、クリエイターは「作るのが好き」という気持ちを金に変えているのである。「創作>>>>生活>>>>金」なのだ。真っ当な生活なんてできないし、毎秒苦しいことの連続だがそれでも創作に携わっている方がなんぼかマシだからこの生き方をしている。そういうことである。
作って生きる、という生き方に何かキラキラした輝かしいものを見ている人は、遠からず現実に直面することになると思う。まあそんな人は一握りであろう。幼い頃からクリエイターを目指してきたような人は、そこら辺の事情も込みで、他の道を選べない人たちだろうから。
正しく茨の道である。でも、数ある地獄の中からこの地獄を選ぶんだよな。それが私たちものつくりの人間だ。