ネットが社会に登場し、一般化し始めてからしばらくの年月が経った。もはやインターネットは生活に欠くことのできないメディアとなり、世界的に大部分の家庭にネット環境が敷かれ、人々は日々SNSに、ニュースサイトに、動画コンテンツにアクセスする。
その結果としてもたらされたのは、異常に高速化された社会だ。世界で起こっている様々なことにリアルタイムでアクセスし、そこで考えたことや感じたこと、提言や諸注意を誰よりも早くSNSで発信“しなければならない“。
それを義務のように感じる人々が圧倒的多数になりつつある。皆、この情報化社会で、何者かになろうと必死なのである。意味のある発言をしなければ。誰よりもいいね数を稼がなければ。誰よりもフォロワー数を獲得してこのネットの海でより強い発言権を得なければ。
そうして常にネットで大量の情報を浴び続ける社会が形作られようとしている。その実、それらの大容量の情報は人間にとってはいささか刺激として強すぎる向きにあり、“デジタルデトックス"なんてものの必要性が声高に叫ばれるようになった。世論は次第に「ネットは便利だけど、あまり縛られずに生きていきたいね」という方向に加速していく。ネットを作ったのもそこに人を縛り付ける仕組みを作ったのも、過去の人類でしかないのに、だ。
俺が観測する範囲のことでしかないのだが、世の中の大部分の人が情報化社会、高速化社会に疲弊しきっているように思う。現に最近、「仕事して家に帰って食べて寝るだけの生活なのに、なぜか異常に疲れる」という声が俺の周りでもかなりの数聞かれるようになった。というか、社会人として生きている人間はほとんどがそのような供述をしている。
生活の場もそうなのだが、仕事の現場や我々のフィールドワークの舞台となる“街“そのものにおいても、大容量情報化が進んだ結果なのだろう。街を歩いていると普通に細かい装飾がなされた賑やかな看板が目に触れる。商店に入ればカラフルな装飾で飾った商品が隙間なく陳列され、仕事に出れば今日もネット環境を軸に高速化された仕事が大量の文字情報を運んでくる。
人々はもう、“情報"がお腹いっぱいなのである。お腹いっぱいの状態なのにさらに大量のコンテンツや受動喫煙的な情報がもたらされるため、一部の人間は情報中毒となり、情報を貯める胃袋が破裂して過度な鬱状態になってしまう。情報を貯める胃袋、とは、言うまでもなく“脳“である。
現状の社会は脳にダイレクトにダメージを蓄積させる環境に、すでになっているのだ。
結果、なんだか知らないけど疲れ切ってしまって、なんのやる気も起きない、という状態が特に社会人や学生に頻発するようになった。彼らの中で、蓄積し続けた情報が処理しきれておらず、延々処理落ちの状態が引き起こされているのである。ちょっと前のWindowsの砂時計がくるくるするやつだ。
あの状態になっているため、新しい追加の刺激を一切受け付けなくなっており、結果何をする気にもならないでダラダラ動画コンテンツを見るしかない時間が訪れているのである。正しく“デトックス“が必要な状態というわけだ。
ちょっと怖いことを言うのだが、朝起きたらSNSの巡回から入る、って人、多いのではないでしょうか。そうしてお次はネットニュースの巡回。その後先ほども言ったように情報の溢れる街に繰り出し、時間いっぱい仕事で脳を酷使する。帰ってからも脳を休ませる間もなく、動画を見たりSNSを見たり、創作物に触れたり。
起きている間中なんらかの情報を、それも大量に浴びているのである。これを数十年くらい前までの人民の生活と比較すると、どれだけ不自然な情報速度の中生きているか、よくわかる。
楽しい刺激も、区分の上ではストレスと同じである、と、以前お世話になっていた整体師の先生がおっしゃっていた。我々の社会は、絶えずストレス源に触れ続ける箱となったのである。
一旦、ちょっと休もう。音楽を聴くこともサブスクでドラマを見ることもビジネス書から学びを得ることもとりあえずやめて、静かな部屋でゆっくり深呼吸しながら一時間くらいぼんやりしよう。
これを毎日と言わずとも数日に一度くらいはやった方がいい。もう脳の処理力も限界なのである。
社会についていけないのは、あなたが劣っているからでも頑張りが足りないからでもない。今の世の中は、不自然に早すぎる。
もっと自分を大事にしてあげましょうね。この荒波のような世界で生き延びるために。