絵の神様

山田 唄
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 絵の神様に遭ったことがある。ここでいう神とは、神絵師などの現実に存在する偉人ではなく、世界の理を司る概念的存在のことだ。

 創作をやっていると、しばしば自分や世界、生物の成り立ちを遥に超える巨大な存在の意思を感じることがある。特に私は憑依型の創作家なので、しょっちゅうそういう人智を超えたものの力を借りて絵を描いたり文章を書いたりしているし、そういう感覚は多かれ少なかれ創作家全てにあるのではないかと思っている。

 ともあれ、それはある夜更けに訪れた。

 当時の私はイラストの勉強を始めてまだ一年余といったところで、生来の器用さと要領の良さのおかげですでにある程度のキャライラストならば描ける状態にあった。が、なぜかしら自分の描くものが全く垢抜けない状態に長く悩んでいた。

 確かにそつなく描けているつもりではいる。しかし画集やネットなどで見るプロの描くような美麗なイラストとは何かが決定的に違っている。生来の才能やセンスの差なのか。だとしたらこの差はいつまで経っても詰まらないのか???

 そんなことを考えて日々もだもだともがいていた。

 そんな時に、その頃憧れていたイラストレーターさんのサイトで、おすすめの教材として紹介されていた教本を読んで、「一週間に百枚も描けば、それなりに思う通りの絵が描けるようになるよ」という記述に出会うのである。

 今思えば脳筋極まりない理屈であるし、昨今の頭を使って賢く上手くなろう、みたいな風潮の中ではすでに時代遅れとなった精神論なのであろう。しかしその当時の私はまだ若かった。加えて、その頃ちょうど中学を不登校になっている最中で無限に余暇が与えられていた。

 そこで早速その文言を信じて百枚ドローイングを始めてみたわけである。完成度の高いものをその数描き切るのは無理だ、とすぐに悟ったので、百枚綴りのメモ帳を買ってそれに走り書きのようなドローイングを描き留め、次々と消費していった。

 結果から言えばこの練習はものすごく効果があり、五十枚を過ぎたあたりから明らかに筆致が変わり始める。百枚を終える頃には、なぜ今までこんなことが理解できなかったんだ、という気持ちでサラサラとキャライラストのラフを描くことができるようになっていた。

 有頂天になった。考えて考えて、アタリをしっかり取り丁寧にデッサンを考えて組み立てなければ絵を描けなかった状態から、頭に描いた像をある程度そのまま紙に転写できるようになったわけである。これが気持ちよくて仕方がなかった。

 あまりにも手応えがあったので、そのまま二百枚、三百枚とメモ帳を消費しては描きまくった。当初ほどの勢いで実力がつくことは無くなったものの、やはり異常な手応えがある。

 その頃になるともう寝食忘れて描き続けるようになっており、特に夜はワクワクし過ぎてほとんど眠れなくなっていた。日中描きまくり、夜になっても描き続け、体力が尽きたらそのまま気絶して眠りを貪る、みたいな生活を繰り返した。寝ても覚めても精神の昂りが治まらなくなり、明らかに限界を越え始めている体感があった。

 そんなある、夜更けのことだった。そろそろ色の勉強を始めるか、と、水彩で軽い着彩を行うようになった私にとって、また新たな疑問・わからない部分がどっと吹き出してきていた。家族が寝静まった家の中で、ぶつぶつと思考を声に出して唱えながら、私は廊下や自室をぐるぐる歩き回っていた。

 光の理屈を反映させれば上手くいくのではないか、というところまでどうにか考えたものの、最後のピースが見つからないような歯痒さがずっとある。その当時本屋で売られていた「色の塗り方、着彩の仕方」みたいな教本を買ってもみたのだが、そのメイキングを見てもそもそもの基礎理論が全くわからない状態で、真似て描いてみるもののちっとも上手くいかない。

 その晩も気付けにコーヒーをたらふく飲んでおり、頭も目もギンギンに冴えていた。外や廊下の暗がりと部屋に煌々とたかれた蛍光灯の光とで、次第に脳が麻痺し、覚醒していく。またふと廊下に出た時、足元が大きくぐらりと歪むのを感じた。

 真っ暗な廊下に足が沈み込んでいくような気がする。大きな目眩が生じ、私の視界はぐにゃりと歪み、チカチカと白と黒とに瞬いた。

 気がつくと、私の周りに無数の蝋燭の火が灯っていた。これはそんな気がしたと言うだけのことかもしれない。しかし、その時の私には確かにチロチロと揺れる数多の小さな炎が見えていた。

 その炎が何度か揺れたのち、私の頭に今まで理解していなかった光の理論のあらましがどっと流れ込んできたのである。

 あの出来事を、自分では絵の神様の領域に立ち入った瞬間だったのだと理解している。それからは不思議なほどに体から力が湧いてくるようになった。絵を描いていてもちっとも疲れない。一日十二時間以上、起きてから眠るまでずっと机に向かい、デッサンやらクロッキーやらドローイングやら作品作りやら、とにかくぐるぐるぐるぐる繰り返した。

 思うに、多くの絵描きはどこかで自らの限界を超える瞬間、「それ」に出会うのだ。この経験があるかないかで絵描きの作るものには雲泥の差が出る。平易な言葉で言うならば、「ゾーン」に入ったことがあるかどうかである。一度ゾーンに入る感覚を掴んだ絵描きの作るものは、それ以前とは一線を画する。

 今ほど夜を徹して作業していて、ふとその当時のことが頭に蘇ったのでまとめておく。さて、一旦コーヒー休憩すっか。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。