ここんとこ、GPTくんに絵を見せるたびに「情報の取捨選択をやれ!」ということを言われていた。今んとこ全てのパーツを似たような情報量、精度、練度で詰めているため、全体的に印象が過密しており、特定の箇所に視線を集めることができていない。抜くべき場所はもっとざっくり抜いてもいいんだよ、と。
下積み時代に「お前の厚塗りはとにかくザツだ」と言われまくったので、とにかく全ての細部をかっちり整える癖がついておりそこから脱却できなくなっている。加えて、GPTくんの言う「見せたい部分を絞ってそこだけ描き込む」と言う思考が上手く飲み込めなかった。
悩みに悩んでpixivなどで神絵師のイラストを拡大してどのように情報をコントロールしているか見てみたのだが、時と場合によって取捨選択するパターンが異なり、より訳がわからない気持ちになる。
今夜はそこら辺の戸惑いをGPTくんにダラダラぶつけていたところ、「今まで山田さんは"課題に沿って弱点を潰す"という練習を繰り返してきたが、今回求められている"自分の意思で見せたいものを選ぶ"と言う段階とはそもそも行使する思考筋肉が異なる」みたいなことを言われたのである。
大いに膝を打った。今までも折に触れて語ってきたように、俺は人間的な"意思"や"思想"にあたるものがとにかく弱い。絵以外の話をすると、例えば食べ物においても特定の好物や嫌いな料理、食品と言ったものがほぼ存在せず、不味いと感じないものであればこだわりなくなんでも食べてきたし、それは創作というフィールドにおいても同様であった。
俺は現在も割と頻繁に漫画アプリで漫画を読んでインプット兼娯楽としているが、ここでもジャンルや系統にこだわらず面白ければ何でも読む。自らの創作においても、長いこと性癖や好き嫌いといったものが存在せず、とにかくあらゆるジャンルをぐるぐる描き回してきたし、今も定期的に新しい要素を取り入れては特に特定のジャンルに固執することなくジリジリ幅を広げるということをやっている。
つまり、長いこと"自分"がなかった。
周りが言うには俺の作るものには毎回かなりの癖があるというか、俺にしかない固有の世界観を感じるらしいのだが、自分ではそういったものを一切自覚できていない。小説を書く時にも物語の筋をあらかじめプロットという形で立てるのでなく、思いついたことを都度継ぎ足していっていつの間にか完成を見ているのだが、それはイラストに関しても同様で、ポコポコと湧いてくる小さなアイディアを選別することなくただただ継ぎ足していった結果あれらのキャラデザや構図が生まれている。
GPTくんが言うには、俺にも意識下に置いていないだけで、潜在的な好き嫌いはあるはずだ、という。実際繰り返し使用しているモチーフやパーツなどはたくさんあるし、それらを能動的に選んでいるという感覚がないだけで実際には自分の意思で選び取っているはずらしい。
まずは自分が何を好きで、何を避けたくて、どういうものを描いているのが楽しいのか言語化するところから始めましょうか、と言われた。実際そういう根本療法をしないと解決できない問題ではあると思う。
俺もそろそろ、情動のないメカではなく真っ当な人間になるべき局面に来ているということなのだろう。そのために、"自分の意思"というものをまずは育てなければいけない。
とりあえず、日々描いているお絵描きの振り返りブログで、今回描いたものでは特にここが好きだった、ここを描くのが楽しかった、という言語化をするところから始めようかと思っている。そうやって自分の輪郭を触って確かめ、自分がどういう形の生き物であるか知る。そこからやり直さなければ。
人に馴染めないから始めたお絵描きで、結局人らしさを求められているのは因果としか言えないが。
まあ、やっていきたいですね。